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1690年 〜 1779年
江戸時代(中期)
えどじだい(ちゅうき)
詳細 🔗
時代
★ 超重要
1690年から1779年頃までの江戸時代中期は、平和な世の中で町人たちが力をつけ、華やかな
元禄文化
が花開いた時代です。5代将軍綱吉の
生類憐みの令
から始まり、8代将軍
徳川吉宗
による幕府立て直しプロジェクト
享保の改革
が実行されました。新田開発や法律の整備が進められる一方、後半には西洋の医学を翻訳した『
解体新書
』が出版され、
蘭学
が広まりました。また、
田沼意次
が商業を重視した政治を始めるなど、日本の経済や学問が大きくステップアップしたエネルギーあふれる時代です。
1694年
12月9日
武蔵国川越藩(埼玉県川越市)の藩主・柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)が老中になる。
行事
1696年
荻原重秀(おぎわら しげひで)、勘定奉行に就任する。
行事
1701年
3月14日
赤穂事件
あこうじけん
詳細 🔗
事件
1701年、江戸城内で赤穂藩主の
浅野内匠頭
(あさのたくみのかみ)が、幕府の高官である
吉良上野介
(きらこうずけのすけ)に突然斬りかかった刃傷事件と、その翌年に浅野の家臣たち(赤穂浪士)が主君の仇討ちを果たした一連の出来事です。幕府の不公平な裁定に対する武士たちの命がけの忠義の物語は、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」として歌舞伎などの題材となり大ヒットしました。平和な江戸時代において「武士とはどうあるべきか」を人々に問いかけた歴史的な事件です。
1702年
12月14日
赤穂浪士 吉良邸討ち入り
あこうろうし きらていうちいり
事件
1707年
宝永大噴火
ほうえいだいふんか
天災
宝永大噴火は、富士山の三大噴火の一つ。
1709年
?月??日
正徳の治
しょうとくのち
政治
重要
6代将軍・徳川家宣、7代将軍・徳川家継のもとで、儒学者・新井白石が進めた文治政治。
1709年
1月10日
江戸幕府5代将軍・徳川綱吉 死去
えどばくふごだいしょうぐん・とくがわつなよし しきょ
死去
1709年
7月3日
徳川家継が生まれる
とくがわいえつぐがうまれる
誕生
江戸幕府6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)と側室の母・月光院(げっこういん、本名:勝田輝子(かつたてるこ))の間に長男として江戸城西ノ丸で生まれる。
1710年
武家諸法度 改定「宝永令」
ほうえいれい
行事
6代将軍・徳川家宣による法令。大名に武芸だけでなく、学問の素養を身につけ、礼儀正しくふるまうことを求めた。 跡継ぎの決まっていない大名が、死ぬ間際になって養子を迎える「末期養子(まつごようし)」も認めた。また、主君や夫などの死を追って臣下や家族などが自死する殉死の禁止している。
1712年
10月14日
江戸幕府6代将軍・徳川家宣 死去
えどばくふろくだいしょうぐん・とくがわいえのぶ しきょ
死去
1712年
12月21日
徳川家重が生まれる
とくがわいえしげがうまれる
誕生
和歌山藩主・徳川吉宗(とくがわよしむね、後:江戸幕府8代将軍)と側室の母・深徳院(しんとくいん、本名:大久保須磨子)の間に長男として江戸赤坂の和歌山藩邸で生まれる。
1716年
享保の改革
きょうほうのかいかく
詳細 🔗
政治
★ 超重要
1716年から第8代将軍・
徳川吉宗
(とくがわよしむね)が行った、江戸幕府を立て直すための大改革です。これを
享保の改革
(きょうほうのかいかく)と呼びます。当時、幕府はお金がなくて倒産寸前の大ピンチでした。そこで吉宗は、徹底的なぜいたく禁止(質素倹約)を命じ、お米の生産量を増やして税金を厳しく取り立てることで、見事に幕府の財政をV字回復させました。
目安箱
の設置や、裁判の基準である
公事方御定書
の制定など、テストに頻出する超重要キーワードが盛りだくさんの「江戸の三大改革」のトップバッターとなる特大ドミノです!
1716年
4月30日
江戸幕府7代将軍・徳川家継 死去
えどばくふななだいしょうぐん・とくがわいえつぐ しきょ
死去
1720年
1月7日
洋書輸入の禁緩和
ようしょゆにゅうのきんかんわ
他
1720年
8月
目安箱 設置
めやすばこ せっち
政治
第8代将軍徳川吉宗によりて庶民の意見、不満を拾い上げ、政策に反映を目的として訴状を投書させるために設置された箱。訴状には住所と氏名を明記することが求められ、匿名などの場合は破棄される。
1720年
8月
小石川薬園 設置
こいしかわやくえん せっち
行事
1720年
8月7日
江戸町火消「いろは」47組 設置
えどまちびけし「いろは」47くみ せっち
政治
1722年
出版書籍業者取締令 発布
しゅっぱんしょせきぎょうしゃとりしまりれい はっぷ
文化
1722年
7月3日
上げ米の制 制定
あげまいのせい せいてい
政治
大名に対して、1万石に付き、100石の米を江戸幕府に納めさせる制度。納める代わりに、大名の参勤交代で江戸に対座しなければいけない期間を半年に軽減することができた。 仕組みで、1730年まで実施されました。この制度により、大名側も江戸での滞在費などの経費を削減でき、幕府側も収入を増加させて財政難を立て直すことに貢献できるといった一石二鳥の制度でした。
1722年
12月
施薬院・小石川養生所 設置
せやくいん・こいしかわようじょうしょ
行事
江戸に設置した無料の医療施設。享保から幕末まで140年あまり貧民救済施設として機能した。漢方医の小川笙船(おがわしょうせん)は、目安箱を利用して施薬院の設置を嘆願する投書を行う。江戸幕府もこれを容認して、小石川薬園(現:東京都文京区白山)に施薬院・小石川養生所を設けた。
1723年
心中物の出版・上演 禁止
しんじゅうもののしゅっぱん・じょうえん きんし
文化
近松門左衛門「曽根崎心中」など影響され男女心中する事件が発生。江戸幕府はこれを重くみて、心中物の出版、上演を禁止する。また、これ以降に心中した者の葬儀を禁止した。
1723年
6月
足高の制
たしだかのせい
詳細 🔗
政治
重要
1723年、江戸幕府の第8代将軍・
徳川吉宗
(とくがわよしむね)が、
享保の改革
(きょうほうのかいかく)の中で定めた画期的な給料のルールです。役職に就くために必要な家柄(石高)が足りない優秀な武士に対し、「その役職に就いて仕事をしている期間だけ」不足分の給料を足して支給する制度です。幕府の無駄な支出を抑えつつ、身分にとらわれずに能力のある人材を重要なポストに大抜擢できるようになった、テストにも頻出する超重要な政治システムです。
1723年
6月
倹約令 施行
けんやくれい しこう
詳細 🔗
政治
重要
1723年、江戸幕府の第8代将軍・
徳川吉宗
(とくがわよしむね)が、深刻な財政難を立て直す「
享保の改革
(きょうほうのかいかく)」の目玉として発令した「超・節約ルール」です。「贅沢は敵だ!」とばかりに、派手な着物や豪華な食事、高価な遊びを徹底的に禁止しました。吉宗自身も木綿の粗末な着物を着て「1日2食・一汁一菜」という質素な生活を送り、武士から庶民まで全員に強制しました。幕府のお金は貯まりましたが、世の中のお金の流れが止まってしまい、深刻な不景気(デフレ)を引き起こすという特大ドミノにもなりました。
1730年
大坂堂島 米市場公認
おおさかどうじま こめいちばこうにん
政治
1732年
享保の大飢饉
きょうほうのだいききん
詳細 🔗
事件
重要
1732年(享保17年)、西日本を中心に起きた江戸時代の四大飢饉の一つ、
享保の大飢饉
(きょうほうのだいききん)です。異常な長雨と冷夏によって農作物が育たない中、ウンカ(害虫)が異常発生して稲を食い尽くし、西国の大名たちは壊滅的な被害を受けました。米の価格が急騰し、江戸では初めての
打ちこわし
が発生。将軍・
徳川吉宗
は救済米を出し、青木昆陽にサツマイモの栽培を命じるなど対策に奔走しました。幕府の農業政策を見直す決定的な契機となった大災害です。
以降
享保の打ちこわし
きょうほうのうちこわし
運動
享保の飢饉により、米が品薄になって米価が高騰し、貧しい人々が米価を求めて、米屋問屋、その商人を襲撃した。
1736年
5月
元文金銀 鋳造始まる
げんぶんきんぎん ちゅうぞうはじまる
経済
1737年
5月22日
徳川家治が生まれる
とくがわいえはるがうまれる
誕生
江戸幕府9代将軍・徳川家重(とくがわいえしげ)と側室の母・至心院(ししんいん、本名:梅渓幸子)の間に長男として江戸城西ノ丸で生まれる。
1742年
公事方御定書 制定
くじかたおさだめがき せいてい
政治
8代将軍・徳川吉宗が命じて作らせた江戸幕府の基本法典。上巻・下巻(2巻)に別れており、の編成。上巻は警察や行刑に関する基本法令が81通あり、下巻は現在までの判例を抽象かつ条文化した刑事法令などを収録している。
1747年
8月15日
細川宗孝江戸城中殺害事件
ほそかわむねたかえどじょうちゅうさつがいじけん
事件
4代目熊本藩主・細川宗孝(ほそかわむねたか)が、江戸城内の厠(かわや、便所)付近で旗本寄合席・板倉勝該(いたくら かつかね)に背後から脇差で斬られてで殺害された。板倉勝該は、板倉本家当主の板倉勝清を殺害するため、勝清を背中の家紋で判断した。結果、よく似ている家紋を付けていた細川宗孝を誤って人違いで殺害してしまった。
1748年
加賀騒動
かがそうどう
運動
1750年
1月7日
版元・蔦屋重三郎 誕生
はんもと・つたやじゅうざぶろう たんじょう
誕生
版元・蔦屋重三郎が浅草(新吉原、現:東京都台東区千束3-4丁目、浅草寺北側・日本堤付近)で生まれる。版元とは、本、浮世絵などの印刷物の出版・発行する現在の出版社を指す。
1751年
田沼意次 御側御用取次
たぬまおきつぐ おそばごようとりつぎ
官職
1751年
6月20日
江戸幕府8代将軍・徳川吉宗 死去
えどばくふはちだいしょうぐん・とくがわよしむね しきょ
死去
1755年
宝暦の飢饉
ほうれきのききん
天災
東北地方から北関東まで被害がおよんだ冷害により不作、餓死者多数を出した飢饉。
1758年
宝暦事件
ほうれきじけん
事件
皇権の回復を説く尊王論者の竹内式部(たけのうちしきぶ)らを処罰した事件。尊王論者が弾圧された最初の事件といわれる。
1761年
7月13日
江戸幕府9代将軍・徳川家重 死去
えどばくふきゅうだいしょうぐん・とくがわいえしげ しきょ
死去
1767年
明和事件
めいわじけん
事件
江戸幕府による尊王論者を弾圧した事件で山県大弐(やまがただいい)ら処刑された。
1767年
上杉鷹山 米沢藩・財政改革
うえすぎようざん よねざわはん・ざいせいかいかく
政治
1770年
大坂・油問屋株 制定
おおさか・あぶらどんやかぶ せいてい
政治
1770年
江戸・質屋株 制定
えど・しちやかぶ せいてい
行事
1772年
田沼意次 老中就任
たぬまおきつぐ ろうじゅうしゅうにん
官職
1772年
黄表紙本・川柳・狂歌 流行
きびょうしぼん・せんりゅう・きょうか りゅうこう
行事
1773年
10月5日
徳川家斉が生まれる
とくがわいえなりがうまれる
誕生
一橋家第2代当主・一橋治済(ひとつばしはるさだ、後:徳川治済)と大奥女中の母・お富の方(おとみのかた、本名:岩本富子)の間に長男として江戸城西ノ丸で生まれる。
1774年
8月
解剖学書『解体新書』刊行
かいぼうがくしょかいたいしんしょかんこう
詳細 🔗
文化
重要
1774年、蘭方医の
杉田玄白
や
前野良沢
らが、オランダの解剖学書『
ターヘル・アナトミア
』を日本語に翻訳し、『
解体新書
(かいたいしんしょ)』として刊行した出来事です。人間の体を実際に解剖して本の内容が正しいと確信した彼らは、辞書もない状態から命がけで翻訳を成し遂げました。日本の医学をそれまでの経験医学から近代的な科学へと進化させる決定的な契機となった一冊です。さらに、西洋の優れた学問を広く伝えることで、江戸時代後半の
蘭学
(らんがく)が大発展する端緒を開いた、日本文化史上の重大な転換点です。
1776年
平賀源内 エレキテル復元
ひらがげんない えれきてるふくげん
詳細 🔗
文化
1776年、江戸時代中期の天才・
平賀源内
(ひらがげんない)が、オランダ製の摩擦起電機「
エレキテル
」を自らの手で復元した歴史的な出来事です。長崎で手に入れた壊れた西洋の機械を、設計図も電気の知識もない状態から、日本の職人の技術を結集して約7年がかりで修理・復元しました。日本人が初めて人工的に電気を発生させた決定的な契機であり、西洋の科学技術に挑む日本の「ものづくり」の精神と、
蘭学
(らんがく)発展の端緒を開いた重要な文化史のイベントです。
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