足高の制 たしだかのせい

🕒 1723年6月
📍 場所: 江戸 👤 関連: 徳川吉宗
1723年、江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)が、享保の改革(きょうほうのかいかく)の中で定めた画期的な給料のルールです。役職に就くために必要な家柄(石高)が足りない優秀な武士に対し、「その役職に就いて仕事をしている期間だけ」不足分の給料を足して支給する制度です。幕府の無駄な支出を抑えつつ、身分にとらわれずに能力のある人材を重要なポストに大抜擢できるようになった、テストにも頻出する超重要な政治システムです。
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財政難と人材不足の深い悩み

1716年、江戸幕府の第8代将軍となった徳川吉宗は、大きな悩みを抱えていました。当時の幕府は深刻なお金不足(財政難)に陥っていたのです。国を立て直す「享保の改革」を成功させるためには、身分にとらわれず、とにかく優秀でバリバリ働ける実力のある人材が必要不可欠でした。しかし、江戸時代の厳しい身分制度と古いルールが、吉宗の前に大きな壁として立ちはだかります。
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立ちはだかる「家柄と給料」の壁

江戸幕府では、重要な役職に就くためには「家柄(もともとの給料である石高)」の基準を満たしている必要がありました。例えば、町奉行になるには「3000石」以上の家柄が必要です。もし才能がある「500石」の武士を町奉行に大抜擢しようとすると、幕府は彼に2500石を一生涯、さらに彼の子孫にまで払い続けなければなりません。これでは、お金がない幕府はすぐに破産してしまいます。
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画期的な新ルール「足高の制」

そこで1723年、吉宗はこの問題を解決する天才的な新ルール足高の制(たしだかのせい)をスタートさせます。これは、役職の基準に足りないお給料(石高)を、「その役職に就いて仕事をしている期間だけ」幕府がプラスして補ってあげるという画期的なシステムでした。例えば、500石の武士が3000石の町奉行になった場合、仕事をしている間だけ不足分の2500石(足高)が支給されることになったのです。
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節約と実力主義!一石二鳥のアイデア

この足高の制の素晴らしいところは、その人が役職を辞めたり亡くなったりすれば、プラスされていた給料は元の500石に戻るという点です。つまり子孫にまで高い給料を払い続ける必要がなくなりました。これにより、幕府は「人件費(支出)を大幅に節約する」ことと、「身分が低くても才能あふれる優秀な人材を重要なポストに大抜擢する」という、まさに一石二鳥の特大メリットを手に入れたのです。
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あの「大岡越前」も大活躍!

この制度のおかげで出世した代表的な人物が、時代劇でも有名な大岡忠相(おおおかただすけ:大岡越前)です。彼は決して高い身分の出身ではありませんでしたが、足高の制によって江戸の町を管理するトップである「町奉行」に大抜擢されました。吉宗の手足となって優秀な働きを見せ、江戸の町の火事対策(町火消の創設)や裁判などで大活躍し、享保の改革を大成功へと導く大きな原動力となったのです。
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