1336年 〜 1392年
1336年から1392年まで、日本に「北朝(京都)」と「南朝(吉野)」という2つの朝廷が同時に存在し、約60年間も争い続けた大戦乱の時代です。建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野へ逃れて南朝を開き、足利尊氏が京都に室町幕府と北朝を立てたことで始まりました。全国の武士たちは領地を守るために味方をコロコロと変えながら戦い続けました。最終的には3代将軍・足利義満の圧倒的な力によって、1392年に南北朝の合一が果たされ、長い争いは幕を閉じました。
1337年
金ヶ崎の戦い(南北朝時代)(越前国、現:福井県北東部)
合戦
1338年
杉本城の戦い(相模国、現:神奈川県)
合戦
1338年
青野原の戦い(美濃国、現:岐阜県南部)
合戦
1338年
石津の戦い(和泉国、現:大阪府南西部)
合戦
1338年
藤島の戦い(越前国、現:福井県北東部)
合戦
1338年
常陸合戦(南北朝時代)(常陸国、現:茨城県)
合戦
1338年
8月11日
足利尊氏 征夷大将軍 任命
官職
1338年
8月11日
足利尊氏 室町幕府初代・征夷大将軍 任命
官職
1341年
関城・大宝城の戦い(常陸国、現:茨城県)
合戦
1348年
四條畷の戦い(河内国、現:大阪府南東部)
合戦
1350年
観応の擾乱
合戦
重要
足利尊氏の弟・足利直義(あしかがただよし)が不仲だった室町幕府の執事・高師直(こうのもろなお)、高師泰(こうのもろやす)の兄弟が対立が原因で内部争いの末、足利尊氏と足利直義の兄弟に発展した内乱。まず、足利直義と高師直の対立を知った足利尊氏は、足利直義の要求を聞き入れて高師直の執事職を辞させた。だが、高師直は直義に対して反撃を行い、足利直義が政務から退き出家させることに成功、自らも再び執事に復帰した。1350年、足利尊氏と高師直は九州で勢力を増大させていた尊氏の子・足利直冬(あしかがただふゆ)を倒すために出陣する。直冬は、尊氏と越前局との間に生まれた実の子であるが、尊氏は越前局の自生不明で身分が低いことを理由に子として認めず、直義の養子となっていた。尊氏と師直が九州へ出陣したこと機に、政務の復帰を望む足利直義が京都を抜け出し奈良で諸国にいる武士たちに高師直の討伐を呼びかけに終結して挙兵する。急いで、尊氏、師直は京都へ戻ろうとするが、摂津国(現:大阪府西部、兵庫県南東部)で足利直義軍に敗北する。尊氏は直義の講和条件を受け入れ、高師直と高師泰を出家させることに決めるが、師直、師泰兄弟は京都へ護送中に殺害される。戦いに勝利した直義は、足利義詮の補佐役として念願の政務復帰を果たすが、義詮との不仲が原因で政務からの引退する。足利尊氏は南朝側の佐々木道誉(ささきどうよ)、赤松則祐(あかまつのりすけ)の討つため出陣するが、尊氏は京にいる直義を東西から挟み撃ちにして倒すための策略だった。これを知った直義は京都を脱出して、北陸で挙兵するが数々の裏切りにあい北陸から鎌倉へ落ち延びる。直義を追って尊氏軍は、駿河国(するがのくに、現:静岡県中東部)を足利直義軍を壊滅状態に追い込み降伏させた。直義は、鎌倉に幽閉されるがすぐに死去する。
1351年
光明寺合戦(播磨国、現:兵庫県南西部)
合戦
1351年
打出浜の戦い(摂津国、現:大阪府北西・南西部、兵庫県東部)
合戦
1351年
薩埵峠の戦い(駿河国、現:静岡県中東部)
合戦
1352年
八幡の戦い(山城国、現:京都府)
合戦
1352年
武蔵野合戦(武蔵国、現:東京都、埼玉県、神奈川県一部)
合戦
1352年
小手指原の戦い(武蔵国、現:東京都、埼玉県、神奈川県一部)
合戦
1352年
笛吹峠の戦い(武蔵国、現:東京都、埼玉県、神奈川県一部)
合戦
1355年
神南の戦い(摂津国、現:大阪府北西・南西部、兵庫県東部)
合戦
1358年
4月30日
足利尊氏 室町幕府初代・征夷大将軍 退任
官職
1358年
4月30日
室町幕府初代将軍 足利尊氏 死去
死去
1359年
筑後川の戦い(筑後国、現:福岡県南部)
合戦
1359年
12月8日
足利義詮 室町幕府2代・征夷大将軍 任命
官職
1366年
1366年、室町幕府の第2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)の時代に起きた大きな権力闘争です。将軍の補佐役(執事)として独裁的な権力を振るっていた細川清氏(ほそかわきようじ)が、「ばさら大名」として知られる佐々木道誉(ささきどうよ)らの裏工作によって失脚しました。幕府を追われた清氏は敵である南朝側に寝返り、一時京都を占領しますが、いとこの細川頼之に討たれます。この事件を機に、将軍を補佐する「管領(かんれい)」の制度が確立し、室町幕府の組織が安定していく歴史の決定的な契機となりました。
1367年
12月7日
足利義詮 室町幕府2代・征夷大将軍 退任
官職
1368年
漆川の戦い(出羽国、現:秋田県)
合戦
1368年
武蔵平一揆の乱(武蔵国、現:東京都、埼玉県、神奈川県一部)
運動
1369年
12月30日
足利義満 室町幕府3代・征夷大将軍 任命
官職
代
平尾合戦(河内国、現:大阪府南東部)
合戦
1390年
土岐康行の乱(美濃国、現:岐阜県南部)
合戦
1391年
明徳の乱(山城国、現:京都府)
合戦
1391年
内野合戦(山城国、現:京都府)
合戦
1392年
10月
1392年、室町幕府の第3代将軍・足利義満の主導により、約60年間も真っ二つに分かれて戦っていた「北朝(京都)」と「南朝(奈良)」の2つの朝廷が一つにまとまった歴史的大事件です。これを南北朝の合一(なんぼくちょうのごういつ)と呼びます。義満は、南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇へ「三種の神器」を譲り渡すという平和的な儀式を実現させ、長きにわたる内乱を終わらせました。これにより幕府の権力は絶対的なものとなり、室町時代は最盛期を迎えることになります。
1392年
10月27日
明徳の和約
政治
重要
南朝・後亀山天皇と北朝・室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の両者により、南朝から北朝へ神器の引渡しの実施、皇位は両統迭立、両統の領地については話し合いが行われ和議が締結。この講和条約により、南北朝の合一が事実上決定する。