江戸幕府の第8代将軍に就任したのは、紀州藩(和歌山県)出身の徳川吉宗(とくがわよしむね)です。これまでの将軍は親から子へ受け継がれてきましたが、7代将軍が幼くして亡くなり跡継ぎがいなかったため、分家から大抜擢されました。テレビドラマ『暴れん坊将軍』のモデルとしても有名な彼は、就任するなり「このままでは幕府が潰れてしまう!」と強い危機感を抱き、大胆な政治の立て直し(享保の改革)をスタートさせました。
吉宗が将軍になった頃、幕府の金庫はスッカラカンでした。前の時代にぜいたくをしすぎたことや、金や銀の採掘量が減ってしまったことが原因です。幕府の収入の基本は農民から集める「お米」でしたが、お米の値段が下がってしまい、お米をお金に換えて生活していた武士たちは大貧困に陥っていました。この「幕府の赤字」と「武士の貧困」というダブルパンチの危機を救うため、吉宗は自ら先頭に立って数々の厳しい改革に乗り出しました。
吉宗が最初に行ったのは、徹底的な「質素倹約(しっそけんやく=ぜいたく禁止)」です。なんと将軍である吉宗自身が、普段の食事は「ご飯と汁物、おかずは一品だけ」という質素なものにし、着物も木綿の安物を着て生活しました。「トップがここまで我慢しているのだから、お前たちもぜいたくするな!」と、武士や庶民にも厳しい節約を命じました。大奥(将軍の妻たちが住む場所)の女性たちも大量にリストラし、幕府の支出を極限まで削りました。
支出を減らすだけでなく、収入を増やすためのウルトラCが上米の制(あげまいのせい)です。吉宗は全国の1万石以上の大名に対し、「1万石につき100石のお米を幕府に寄付してくれ!」と頼み込みました。将軍が大名に頭を下げるのは異例でしたが、その代わり大名たちにとって一番の負担だった「参勤交代の江戸にいる期間を1年から半年に減らす」というご褒美を与えました。これにより、幕府は当面の危機を乗り切るお米をゲットしたのです。
幕府と武士の生活を安定させるには、お米の値段をコントロールすることが一番重要でした。吉宗は新田開発を奨励して農地を増やし、お米の生産量を爆発的にアップさせます。しかし、お米がとれすぎると今度はお米の値段が下がって武士が苦しむため、大阪の商人たちに命じてお米の取引所(堂島米会所)を作らせ、値段の安定に死に物狂いで取り組みました。お米のことばかり考えていた吉宗は、人々から親しみを込めて「米将軍(八木将軍)」と呼ばれました。
吉宗は「庶民が何を考えているのか直接知りたい!」と、江戸城の門の前に目安箱(めやすばこ)という投書箱を設置しました。これに手紙を入れられるのは町人や農民だけで、吉宗本人が自ら鍵を開けてすべての手紙を読みました。この目安箱の意見から、貧しい病人を無料で治療する「小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)」という病院が作られたり、江戸の町を火事から守るための「町火消(まちびけし)」という消防組織が誕生したりと、画期的な政策が次々と実現しました。
当時の裁判は、裁判官の気分や身分によって判決がバラバラでした。これでは人々が納得しないと考えた吉宗は、過去の裁判の記録などをまとめて、新しい法律のルールブックである公事方御定書(くじかたおさだめがき)を作成しました。「泥棒をしたらこの罰」「喧嘩をしたらこの罰」と基準をハッキリさせたことで、誰でも公平な裁判が受けられるようになりました。この法律は、のちの江戸時代の裁判の基本(マニュアル)として長く使われることになります。
この時代、天候不良やイナゴの大量発生などで農作物がとれない「大飢饉(だいききん)」が何度も発生しました。吉宗は、やせた土地でも育ちやすい「サツマイモ(甘藷)」に目をつけます。そして蘭学者(オランダ語の学者)の青木昆陽(あおきこんよう)に命じて、サツマイモの栽培方法を研究させ、全国に広めました。このサツマイモのおかげで、その後の飢饉で餓死する人が劇的に減り、多くの命が救われました。青木昆陽は「甘藷先生」として感謝されるようになります。
吉宗のもう一つの大きな功績が、キリスト教に関係のない西洋の学問書(洋書)の輸入を許可したことです。カレンダー(暦)を正確に作るためには、西洋の進んだ天文学が必要だと考えたからです。この規制緩和により、ヨーロッパの最新の医学や科学の知識が日本に入ってくるようになりました。のちに杉田玄白らが『解体新書』を翻訳するなど、オランダ語を通して西洋の学問を学ぶ「蘭学(らんがく)」が大きく発展する歴史のキッカケを作ったのです。
享保の改革により、幕府の金庫はお米やお金で潤い、倒産寸前だった財政は見事にV字回復しました。吉宗の政治手腕は高く評価され、彼は江戸幕府を立て直した「中興の祖」と呼ばれます。しかし一方で、年貢(税金)の取り立てを厳しくしすぎたため、苦しい生活に耐えきれなくなった農民たちが「税金を下げろ!」と暴動を起こす百姓一揆(ひゃくしょういっき)や打ちこわしが急増するという、負の側面も生み出してしまいました。