1732年の夏、西日本の空は厚い雲に覆われ、冷たい雨が何日も降り続きました。本来なら太陽の光を浴びて青々と育つはずの稲は、長雨と冷夏のために全く成長しませんでした。農民たちが「今年は米が取れないかもしれない」と不安を募らせる中、追い打ちをかけるように最悪の事態が起こります。この異常な気候を好む恐ろしい生物が、田んぼの泥の中から大量に姿を現したのです。これが、日本中を恐怖に陥れる大災害の不吉な予兆でした。
稲を襲ったのは、「ウンカ」と呼ばれる数ミリほどの小さな害虫でした。長雨の影響でウンカが異常発生し、黒い雲のような大群となって西日本の田んぼを覆い尽くしました。彼らは稲の汁を吸い尽くし、田んぼの稲は次々と茶色く枯れて全滅してしまいます。農民たちが松明の火や音で追い払おうとしても、あまりの数の多さに為す術がありません。九州や四国、中国地方の農村は、あっという間に収穫量ゼロという壊滅的な打撃を受けてしまったのです。
異常気象と害虫のダブルパンチにより、西日本を中心に大規模な飢饉が発生しました。これが江戸四大飢饉の一つに数えられる享保の大飢饉(きょうほうのだいききん)です。特に被害が大きかった瀬戸内海沿岸の藩では、食べるものを失った人々が草の根や木の皮まで食べて飢えをしのぎましたが、数万人とも言われる多くの餓死者が出ました。生き残るために家や村を捨てて逃げ出す農民も続出し、西日本の農村社会は崩壊の危機に直面したのです。
飢饉の影響は、遠く離れた江戸の町にもすぐに波及しました。当時、江戸で消費されるお米の多くは西日本から船で運ばれていました。しかし、西日本が全滅状態となったため、江戸に運ばれるお米が激減してしまったのです。さらに、一部の悪徳商人がお米を隠して出し惜しみをしたため、江戸の町ではお米の値段が信じられないほど異常に跳ね上がりました。日々の食事にも困るようになった江戸の庶民たちの怒りは、限界点に達しようとしていました。
1733年、飢えと怒りに苦しむ江戸の町人たちが、お米を隠し持っていた悪徳な米問屋(高間伝兵衛)の屋敷を襲撃するという事件が起きました。大勢の人々が家や蔵を破壊してお米を奪い取ったこの暴動は、江戸時代で最初の打ちこわしと呼ばれています。これまで幕府を恐れて大人しくしていた庶民が、生きるために実力行使に出た瞬間でした。このショッキングな事件は、時の将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)にも大きな衝撃を与えました。
当時、享保の改革(きょうほうのかいかく)という政治改革を進めていた第8代将軍・徳川吉宗は、この危機に対して迅速に動きました。吉宗は江戸の町を救うために幕府の蔵を開いて大量のお米を安く売り出し、米価を無理やり引き下げます。さらに、大打撃を受けた西日本の大名たちに対しても、幕府の資金を貸し付けて農民を救済するように厳しく命じました。倹約家として知られた吉宗ですが、人命を救うための緊急支援にはお金を惜しまなかったのです。
幕府の支援と並行して、吉宗は「そもそもお米だけに頼るから飢饉で全滅するのだ」と考え、悪天候や害虫にも強い新しい作物の導入を急ぎました。そこで白羽の矢が立ったのが、蘭学者(西洋の学問を学ぶ学者)であった青木昆陽(あおきこんよう)です。吉宗は昆陽に、痩せた土地や雨が少ない場所でもよく育つサツマイモ(甘藷)の栽培を研究させました。この先見の明のある決断が、のちの日本人の命を幾度も救うことになります。
青木昆陽は、幕府の薬草園であった小石川御薬園(現在の東京大学付属植物園)などでサツマイモの試験栽培を見事に成功させました。その後、サツマイモの育て方を分かりやすくまとめた本を出版し、全国の農村へと広めていきます。お米が不作の年でも地中でしっかりと育つサツマイモは、飢饉の時の「救荒作物(きゅうこうさくもつ)」として最強の威力を発揮し、その後の天明や天保の飢饉において、数え切れないほどの農民の命を救う救世主となりました。
一方で、大災害に直面した当時の人々は、科学的な対策だけでなく神仏の力にも頼りました。ウンカの異常発生を「悪霊の仕業」と考えた農民たちは、太鼓や鐘を鳴らしながら松明を掲げ、虫を村の外へと追い払う「虫送り(むしおくり)」という儀式を盛んに行うようになりました。この悲痛な願いから生まれた伝統行事は、現代でも日本のいくつかの地域で夏の風物詩として受け継がれており、当時の飢饉の恐ろしさと人々の必死な祈りの記憶を今に伝えています。
享保の大飢饉は、数万の命を奪う悲惨な大災害でしたが、幕府の政治を大きく変える役割も果たしました。この飢饉を教訓として、吉宗は全国の大名に「いざという時のためにお米を備蓄しておくこと(囲米の制)」を義務付けるなど、防災政策を本格化させました。お米中心の経済の弱点が浮き彫りになり、サツマイモなどの新しい作物が全国へ広まる決定的な契機となったのです。日本の農業と危機管理体制が進化する、歴史の重要な分岐点となった出来事でした。