鎌倉幕府が滅んだ後、天皇中心の政治(建武の新政)を目指す後醍醐天皇と、新しい武士の世を作りたい足利尊氏が激しく対立しました。その結果、日本には2人の天皇が同時に存在する異常事態となります。京都の「北朝」と奈良・吉野の「南朝」に分かれて全国の武士が戦う南北朝時代の始まりです。この「日本最大級の兄弟ゲンカ」は約60年間も続き、日本中の人々は果てしない戦乱に疲れ果てていました。
この長すぎる争いを終わらせたのが、室町幕府の第3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)です。のちに豪華絢爛な「金閣寺」を建てたことで有名な、幕府史上最も強大な権力を持ったカリスマ将軍でした。義満は圧倒的な軍事力とズル賢い政治力を使って、幕府を脅かす強力な守護大名たちを次々と罠にハメて討伐していきます。国内に敵がいなくなった義満は、ついに最大のミッションである「南朝との和解」に乗り出しました。
義満は武力で滅ぼすのではなく、南朝のトップである後亀山天皇(ごかめやまてんのう)に平和的な手紙を送りました。「これ以上戦っても勝ち目はないでしょう?天皇の証である三種の神器(さんしゅのじんぎ)を北朝に譲ってくれるなら、これからは北と南の血統から順番に天皇になれるように約束しますよ」という、非常に魅力的な和平の条件を提案したのです。戦う力を失っていた南朝側も、ついにこの提案を受け入れる決断をします。
1392年10月、ついに歴史が動きます。南朝の後亀山天皇が吉野の山を降りて京都へと向かい、北朝の後小松天皇(ごこまつてんのう)に対して、天皇の正式なシンボルである「三種の神器」を引き渡す歴史的な儀式が行われました。これにより、南朝は北朝に吸収される形で消滅し、約60年続いた大乱世が完全に終わりました。これがテストに絶対出る超重要イベント南北朝の合一(なんぼくちょうのごういつ)の瞬間です。
こうして日本は再び一つになり、室町幕府は最盛期を迎えます。足利義満は武士だけでなく公家(貴族)のトップにも立ち、日本の絶対的支配者となりました。しかし、南朝の人々には悲しい結末が待っていました。義満が約束した「北と南で順番に天皇になる」というルールは、結局守られなかったのです。その後も天皇はすべて北朝の血筋から選ばれ続け、騙された南朝の武士たちはその後も長きにわたり反発を続けました。