室町幕府の初代将軍・足利尊氏が亡くなり、息子の足利義詮(あしかがよしあきら)が第2代将軍に就任しました。しかし、当時はまだ天皇が二人存在する南北朝時代の真っ只中であり、世の中は非常に不安定でした。敵である南朝との戦いが終わらないだけでなく、幕府の内部でも有力な武将たちが権力や領地を巡ってドロドロの派閥争いを繰り広げていました。義詮は、自分勝手で言うことを聞かない家臣たちをどうやってまとめ上げ、幕府の政治を安定させるか、日々頭を抱えながら難しい舵取りを迫られていたのです。
そんな混乱の幕府内で、将軍の補佐役である「執事(しつじ)」としてトップの権力を握ったのが細川清氏(ほそかわきようじ)でした。彼は軍事的な才能に非常に優れており、南朝との戦いで多くの手柄を立てて将軍・義詮からの厚い信頼を勝ち取りました。しかし、権力を握った清氏は次第に傲慢になり、自分の意見に反対する有力武将を次々とクビにするなど、強引で独裁的な政治を行うようになります。当然、周囲の武将たちからは激しい反感を買うことになり、幕府内に不満のマグマが溜まっていったのです。
清氏の独裁に最も強く反発したのが、佐々木道誉(ささきどうよ)という武将です。彼は「ばさら大名」と呼ばれ、派手な服装を好み、常識にとらわれない自由奔放な生き方で世間の注目を集めていました。道誉は政治の駆け引きや裏工作の天才でもあり、強引に権力を振りかざす清氏のやり方を非常に危険視していました。真面目で強硬派な清氏と、派手好きで頭の回転が速い道誉。性格が全く正反対である二人の実力者は、室町幕府の主導権を巡って水面下で激しく火花を散らし、対立を深めていくことになります。
1366年、ついに道誉が決定的な行動に出ます。彼は持ち前の裏工作の才能を発揮し、将軍・足利義詮に対して「細川清氏が幕府を裏切り、謀反を企んでいるようです」と、巧みな嘘を吹き込んだのです。清氏の強引すぎる独裁ぶりに少し不安を感じ始めていた義詮は、道誉の巧妙な罠にすっかり騙されてしまいました。義詮は「清氏は危険な存在だ」と判断し、なんと清氏を執事の役職からクビにして、彼を討伐するための兵を差し向ける決定を下したのです。この大きな政変劇が貞治の変(じょうじのへん)です。
突然の討伐命令に、清氏は大パニックに陥ります。「私は幕府のために尽くしてきたのに、なぜだ!」と将軍に必死で弁明しようとしましたが、すでに道誉の完璧な根回しによって、幕府の有力武将たちは全員道誉の味方になっていました。誰も自分の言葉を信じてくれない絶望的な状況の中、清氏は命を守るため、京都の屋敷を飛び出して一族の者がいる地方へと逃げ出すしかありませんでした。昨日まで幕府のナンバーツーとして権勢を誇っていた男が、一瞬にして追われる罪人へと転落してしまった悲劇的な瞬間でした。
幕府から見捨てられ、深い絶望と怒りに震える清氏は、ここで誰もが予想しなかった驚くべき行動に出ます。なんと、今まで幕府軍のトップとして何度も激しく戦ってきたはずの最大の敵である南朝(なんちょう)に対して、「味方になりたい」と降伏を申し出たのです。南朝側も、かつての強力な敵将が寝返ってくるという信じられないオファーを大喜びで受け入れました。清氏は、自分を裏切った幕府と佐々木道誉に復讐を果たすため、誇りを捨ててかつての敵と手を結び、室町幕府へと鋭い牙を剥くことになります。
南朝の強力な軍勢を味方につけた清氏は、猛烈な勢いで反撃を開始します。南朝の優秀な武将である楠木正儀(くすのきまさのり)らと共に大軍を率いて、幕府の本拠地である京都へと一気に攻め込みました。この予想外の事態に幕府軍は大混乱に陥り、将軍・足利義詮や佐々木道誉らは命からがら京都から逃げ出すという大失態を演じます。清氏は見事に京都を占領し、一時的ではありますが復讐を果たすことに成功しました。しかし、裏切りと憎しみで結ばれた寄せ集めの軍隊による京都支配は、決して長くは続きませんでした。
態勢を立て直した幕府軍が総攻撃を仕掛けてくると、清氏たちはあっけなく京都を奪い返されてしまいます。敗走した清氏は、自分の出身地である四国の讃岐国(現在の香川県)へと逃げ延び、そこで再び幕府軍と戦う準備を進めました。しかし、彼を討伐するために幕府から派遣されてきた大将は、なんと清氏のいとこにあたる細川頼之(ほそかわよりゆき)でした。権力闘争が生み出した激しい親族同士の殺し合いの末、清氏は頼之によって無惨に討ち取られ、その波乱に満ちた生涯を悲しく閉じることになります。
清氏の死後、彼を討ち取った細川頼之は将軍からの厚い信頼を集め、やがて幕府のナンバーツーとして大出世を果たします。また、この事件の黒幕であった佐々木道誉も幕府内で大きな発言力を持ち続けました。この貞治の変を通して、将軍の補佐役は「執事」から、より権威のある「管領(かんれい)」という役職へと名前を変えました。そして、細川氏、斯波氏、畠山氏の三つの家(三管領)が交代でそのトップを務めるという、室町幕府の安定した政治システムが明確に作られていくことになります。
貞治の変は、細川清氏という一人の有能な武将の転落劇であり、室町時代特有のドロドロとした権力闘争の一つに過ぎないように見えます。しかし、この事件によって強引な独裁者が排除され、複数の有力な武将たちがバランス良く将軍を支え合う「管領制度」が確立しました。足利義詮の時代に起きたこの激しい内部の争いが膿を出し切ったことで、次の第3代将軍・足利義満の時代に室町幕府が全盛期を迎えるための強固な土台が完成したのです。幕府の組織が完成へ向かうための歴史の決定的な契機となった政変でした。