| 一問一答クイズ [No.22773] | |
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| 制限時間 : 無制限 | |
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| 出題数 | 10228人中 |
| 正解数 | 7073人 |
| 正解率 | 69.15% |
| 作成者 | 戦国時代くん (ID:11738) |
| 最高連続正解数 | 0 問 |
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正解:②
解説:武田征伐(たけだせいばつ)は、長篠の戦い以降に勢力が衰えた武田家の領地(駿河・信濃・甲斐)へ侵攻した戦い。武田氏一族を攻め滅ぼした合戦。別名「武田崩れ」とも呼ばれています。
正解:④
正解:②
正解:②
解説:甲斐国(山梨県)の戦国大名・武田信玄と越後国(新潟県)の戦国大名・上杉謙信が、北信濃の支配権を巡った争い。1553年〜1564年までの間に計5回も戦われ、最後の第5次の戦いでは、にらみ合いだけで終り、結局勝敗の決着を付けずにこの戦は終了する。
正解:②
正解:かんながわ
解説:神流川の戦い(かんながわのたたかい)は、1582年7月5日〜7月8日に織田信長が本能寺の変によって死んだ後に織田方の滝川一益と北条氏直が争った戦い。戦国時間の中で関東地方で最も激しい野戦と言われている。
正解:長宗我部元親
正解:①
正解:②
正解:②
正解:①
正解:①
正解:②
正解:④
解説:桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行われた合戦。今川軍の戦力・約25,000人に対して、織田軍の戦力は約3000人と言われています。織田軍の奇襲攻撃により、総大将の今川義元は戦死しました。
正解:④
正解:②
正解:①
正解:③
解説:遠藤周作氏著書の「男の一生」は戦国大名の前野長康が主人公ですが、伊勢湾台風で崩れた土蔵の中から発見された、「武功夜話」をベースに書かれたそうです。
正解:③
正解:①
正解:伊達 政宗
正解:②
正解:③
解説:武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。
正解:④
正解:③
正解:②
正解:毛利輝元
解説:毛利輝元は孫です。
正解:②
解説:実の親は徳川家康。 のちに豊臣秀吉の養子になり、秀頼を弟のように可愛がったという。 家康に「もし豊臣を攻撃するようなことがあったら私は秀頼をかばって大阪城に入る」 とまで言ったそうだ。
正解:真田家を挟んだ親戚
解説:石田三成の妻と真田昌幸の妻は姉妹 本多忠勝の娘は徳川家康の養女になり真田信之へ嫁いだ
正解:④
正解:④
正解:④
正解:③
正解:④
正解:戸沢盛安
正解:①
正解:②
正解:①
正解:①
正解:越前守
正解:筑後守
正解:①
正解:③
解説:信玄の幼名は「太郎」。「甲陽軍鑑」によれば、勝千代(かつちよ)と名づけた説もあります。信玄は、武田晴信(たけだ はるのぶ)→武田信玄(出家後・法名)と改名しました。
正解:③
解説:兵法書「孫子(そんし)」は、中国春秋時代の思想家・孫武(そんぶ)が書いたとされる書物。中国の代表的古典とされる七大兵法書の1つです。
正解:勘助
正解:水洗式のトイレだった
解説:躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)のトイレは、ひもを引いて鈴を鳴らすと係りの者が水を流すという水洗トイレでした。その水は風呂の残り湯を使っていたといわれています。さらに広さが6畳もあり、机もあったというから驚きです。
正解:②
正解:④
解説:1573年、三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、現在の静岡県浜松市で起こった戦い。三方ヶ原台地にて武田軍(27,000人)と徳川軍(11,000人)の間で行われました。武田軍の背後を突こうとした徳川側の読みは外れ、わずか2時間で大打撃を与えられ、徳川家康は敗走して浜松城に命からがら戻りました。この時、家康は恐怖のあまり馬の上でおもらしをしたと言われています。ちなみにこの時の失敗を反省して絵師に書かせた家康の「しかみ像」はとても有名な絵です。
正解:①
解説:武田信玄の軍旗に書かれている風林火山の「疾如風徐如林侵 掠如火○○如山」。これは、中国の兵法書「孫子(そんし)」に記された「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」をアレンジしたものです。
正解:②
解説:恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある寺院です。 武田信玄が菩提寺(ぼだいじ)と定めた寺です。武田家が滅亡して織田信忠軍により寺の焼き討ちにあった時に燃える山門の上で住職の快川紹喜(かいせんじょうき)が言った「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」はとても有名です。
正解:③
解説:上杉謙信が正解です。甲斐の国は四方が山に囲まれ、海に面していないために塩が取れません。今川氏と北条氏の戦略により、甲斐の国へ塩を送るルートを経たれました。そこで、信玄を助けたのが長年のライバル上杉謙信です。「敵に塩を送る」には、いろいろな説がありますが「どんなに敵対していても、困った時は助け合う」といった良い意味があります。
正解:④
解説:新田次郎作 武田信玄 林の巻より
正解:鮎
解説:新田次郎作 武田信玄 風の巻より
正解:③
解説:新田次郎作 武田信玄 風の巻より
正解:碁石金
解説:新田次郎作 武田信玄 林の巻より