| 一問一答クイズ [No.18167] | |
|---|---|
|
|
|
|
|
|
| 制限時間 : 無制限 | |
| 難易度 | |
| 出題数 | 264人中 |
| 正解数 | 90人 |
| 正解率 | 34.09% |
| 作成者 | 長野業正 (ID:10063) |
| 最高連続正解数 | 0 問 |
| 現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:①
正解:②
正解:④

正解:ドゥゼ

正解:④
解説:プティ将軍は、有名なフォンテンブローの決別で、ナポレオンの接吻・抱擁を受けた人です。ネイ将軍は、ナポレオンがエルバ島に流刑になる際に、一度、ナポレオンを見放しています。モロー将軍は、ナポレオン暗殺未遂の容疑がかけられ、ベルナドット将軍は、スウェーデン王太子になった後、ロシアと手を結び、ナポレオンと敵対します。

正解:アルコレの戦い
解説:ロディの戦いでもナポレオン自ら橋の上を突進しましたが、川には落ちていません。

正解:②
解説:ナポレオンの部下、ベルナドット将軍の妻になり、夫ベルナドットがスウェーデン王になると、彼女も王妃となりました。

正解:③
解説:彼女の連れ子は2人。ナポレオンとの年齢差は6歳。バラスという権力者の愛人でした。

正解:①
正解:②

正解:②
ナポレオンのアルプス越えの際に、途中のブゥル・サン・ピエール村でおこなった「あること」のため、1984年になってフランス政府は、その「清算」をすることになりました。その「あること」とは次のどれですか?正解:③
解説:村人の労役に対し支払いをする旨の約束手形が1950年に発見され、フランス政府は、村に記念メダルを授与しました。

正解:パーヴェル1世
正解:②
正解:④
解説:賛成358万8千、反対8千でした。
正解:②
解説:賛成357万2千、反対2千でした。

正解:ノートル・ダム寺院
正解:②
解説:フランス軍は1分間に120歩移動する能力があるのに対して、オーストリア軍は1分間に80歩しか移動できなかったということです。

正解:③

正解:ジョージ3世
正解:③
解説:ジョセフは一番上の長男、リシュアンはナポレオンのすぐ下の弟、ポーリーヌはナポレオンの妹、ジェロームは兄弟姉妹の中の末っ子(末弟)に当たります。
正解:②
解説:濃い霧のため、高地からは右翼(スルト将軍の一部の部隊)が手薄と見えたが、霧の奥に、強力な予備軍(ダヴー将軍の部隊)が配置されていました。

正解:④

正解:ブリュッヒャー将軍
正解:③

正解:③

正解:②

正解:①

正解:②
正解:③

正解:②

正解:スペインでの戦況が思わしくないこと

正解:①

正解:②
解説:ちなみに、エレオノール・ドニュエルは、ナポレオンの妹カロリーヌの侍女で、ナポレオンの愛人となった方です。

正解:タレイラン

正解:①
正解:④
解説:部下のミュラとジュノが反目しており連携が悪かったということです。
正解:③

正解:③

正解:③

正解:シャルンホルスト

正解:①

正解:④
正解:③
解説:マリア・ヴァレフスカはポーランド人、ベリロットはエジプト遠征時の愛人です。

正解:④
正解:④

正解:③
正解:③
解説:ナポレオンの命令は、ワーテルローの戦いに限って、大雑把すぎて、あいまいでした。
正解:②
解説:隣の陸地まで最も遠いのは、イースター島です。
正解:ダヴー
解説:ラ・ベドワイエールは、ワーテルローの戦いの際のナポレオンの副官です。
正解:①
正解:カペー朝
正解:③
正解:②
解説:フェルディナント2世は三十年戦争時の神聖ローマ皇帝。フェリペ2世はスペインの黄金期の国王。ニコライ2世は日露戦争、ロシア革命時のロシア皇帝。 もう一人のカトリック両王はイザベル1世。
正解:③
解説:当時タタールの軛といわれ、ロシアを支配していたキプチャク・ハン国に金で取り入り政敵を抹殺したり、金で土地を買い自らの力を強大にしたためこう呼ばれた。
正解:カウニッツ
正解:エドワード6世
正解:ハノーヴァー
解説:金印勅書は神聖ローマ皇帝カール4世が発布したもので、選帝侯をマインツ・トリアー・ケルンの大司教とプファルツ・ザクセン・ブランデンブルク・ボヘミアの俗界諸侯の七人に定めた。ハノヴァーは1629年に追加された選帝侯で、ここからジョージ1世がイギリスに招かれてハノヴァー朝が成立した。ハノヴァー朝は第一次世界大戦中に、敵国ドイツ風の呼称を嫌ってウィンザー朝と改称され今に至る。
正解:①
解説:イヴァン4世(雷帝)はリューリク朝
正解:③
解説:エーリク7世はデンマーク王(兼スウェーデン王、ノルウェー王)。マルグレーテはその摂政として実権を握った。マルグレーテ女王(1世)と呼ばれることもあるが王位には就いていない。
正解:①
正解:③
解説:ハプスブルク家では唯一の王位簒奪。美術品収集や錬金術に没頭していたルドルフ2世は、国政を顧みなかったため、弟に王位を奪われた。ルドルフ2世はケプラーの庇護者として有名。
正解:①
解説:ドイツのヴィルヘルム2世は3B政策を推進しイギリスの覇権に挑戦したが、第一次世界大戦で敗れドイツ革命で国外に亡命した。ロシアのニコライ2世は日露戦争・第一次世界大戦のときの皇帝で、ロシア革命の際に処刑された。ジョージ5世は第一次世界大戦時のイギリス国王。ウィルヘルミナは1890〜1948年までの長期間オランダ女王であった。
正解:①
解説:ミエシュコ1世はピアスト朝の創始者でボレスワフ1世の父。ポーランドの現在の首都はワルシャワ。
正解:③
解説:ナポレオンが失脚すると、ウィーン体制下でブルボン朝が復活しルイ18世が即位した。彼の死後はシャルル10世が即位したが、専制政治やアルジェリア遠征により7月革命を誘発し、1830年に退位してフランスにおけるブルボン朝は終焉した。なお、ルイ16世・ルイ18世・シャルル10世は兄弟である。スペインでは今に至るまでブルボン朝が続いている。ルイ・フィリップは7月革命の際にオルレアン家から迎えられた国王。アンリ11世は存在しない。