| 一問一答クイズ [No.11545] | |
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| 制限時間 : 無制限 | ノーヒントだよ。 |
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| 出題数 | 3833人中 |
| 正解数 | 2649人 |
| 正解率 | 69.11% |
| 作成者 | 諏訪さま (ID:805) |
| 最高連続正解数 | 0 問 |
| 現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:②
解説:正解は虎千代です。ちなみに虎寿丸は島津義久、犬千代は前田利家、奇妙丸は織田信忠でした。
正解:②
解説:長野県長野市の犀川(さいがわ)と千曲川(ちくまがわ)に囲まれた三角地帯の地名をいいます。1553年〜1564年までの12年の間に5回戦いましたが、決着着かぬままに終わりました。
正解:③
解説:今川氏と北条氏は同盟を結び、武田信玄を苦しめようと塩の供給を経つ戦略に出ました。海に面していない武田信玄のいる甲斐の国で非常に苦しい状況となりました。その時、塩を送って、信玄を助けたのが敵対関係にあった上杉謙信です。「敵に塩を送る」とは、敵対関係にある相手でも、困って苦しい立場にある時には助けてあげることの意味。しかし、この意味は後から作られた美談との説があり、真相はどうなのでしょうか・・・?
正解:①
解説:上杉謙信の血液型は、AB型だそうです。誓文(せいもん)の血判によって、判明しました。
正解:④
解説:上杉謙信が生涯信仰した毘沙門天(びしゃもんてん)の「毘」の文字を旗印と掲げました。謙信は、自らが毘沙門天の生まれ変わりと信じていました。ちなみに毘沙門天(梵名:ヴァイシュラヴァナ)は、仏教における仏で四天王の1つの武神。
正解:②
解説:長尾 為景(ながお ためかげ)は、越後の戦国大名で上杉謙信の父です。
正解:③
正解:④
解説:上杉謙信にまつわる逸話、伝説、俗説は、数多く存在するようです。女性説は、その中の1つです。
正解:関東管領
解説:関東管領(かんとうかんれい)とは、南北朝時代から室町時代にかけて室町幕府が設置した鎌倉府の鎌倉公方(かまくらくぼう)を補佐するために設置した役職名のことです。
正解:③
解説:1577年、加賀国(石川県南部)の手取川で上杉軍(20,000人)と織田軍(織田信長、柴田勝家:48,000人)と戦いました。結果は、上杉軍が織田軍を撃破したとされています。
正解:②
解説:問題1 謙信公が上杉家の名跡を譲り受けたのは、1561(永禄4)年のことです。それまでは改名をせず長尾景虎と名乗っていました。 問題2 謙信公の死後、謙信公の甥である上杉景勝公と関東の北条氏の息子である上杉景虎公が、戦を始めました。結果、上杉景虎公は敗北し、鮫ヶ尾城で自害しました。 問題3 川中島の戦いは5回中4回目が最も激戦だったと言われています。両軍ともに戦略を尽くしましたが、引き分けに終わりました。
正解:②
解説:1872年(明治5年)10月14日、日本で初めて鉄道「新橋〜横浜間」の29kmが開通しました。片道を53分をかけて走ったそうです。ちなみに片道運賃は35銭5厘、現在のお金に換算すると4500円くらいだそうです。
正解:①
解説:明治5年(1874年)に出版された「西洋料理指南」という本に書かれているカレーライスのレシピが日本最古といわれています。作り方は現在とあまり変わらないようですが、カエルの肉を鍋に入れると書かれています。ぜひ、お試しを!
正解:②
正解:②
正解:③
解説:「ハイカラ」の語源は、明治時代の男子の服装で流行した高い襟(えり)のシャツに由来します。ちなみに高い襟(えり)を英語でハイカラー(high collar)といいます。意味は西洋風の身なり、生活様式をすること(また、その人)。また新しくオシャレなことを意味します。
正解:①
解説:馬車鉄道とは、馬が線路の上を走る車を引く鉄道です。1882年(明治15年)6月25日に東京馬車鉄道が開業されました。区間は日本橋−新橋までで運賃が2銭〜3銭と安くかったようです。乗車方法も手を上げて、タクシーのように乗ることができました。しかし、馬の糞尿や餌の問題に加えて、電車が普及したために次第の姿をけしていきました。
正解:①
正解:大久保利通
正解:①
解説:1869年(明治2年)5月9日、町田房蔵が横浜の馬車道通りに「氷水屋」を開業して、国内で初めてのアイスクリーム「あいすくりん」を発売。なんと、1人前の価格は二分(現在:約8,000円)でとても高価なものでした。ちなみに発売を開始した5月9日は現在「アイスクリームの日」となっています。
正解:日付の下1桁に1と6の付く日 ※但し31日を除く
正解:②
解説:1884年(明治17年)6月12日、日本最初のバザーは「婦人慈善会」という名で東京・日比谷の鹿鳴館で開かれました。売り物は手工芸品や喫茶、食堂の飲食サービスなどでを行い、3日間の入場者は1万2千人ありました。ちなみに売り上げた8000円(当時の金額)は有志共立東京病院へ全額寄付したそうです。