飛鳥時代 あすかじだい

🕒 592年 〜 710年 📜 飛鳥時代
📍 場所: 奈良県 飛鳥(明日香村) 👤 関連: 推古天皇,聖徳太子,中大兄皇子,中臣鎌足,天武天皇,持統天皇
592年から710年まで、奈良県の飛鳥地方を中心に天皇や貴族が政治を行った時代。聖徳太子が天皇を中心とする国づくりを目指し、その後、中大兄皇子らによる大化の改新を経て、法律に基づいた強い国づくり(律令国家)が進められました。仏教が深く根付き、日本初の本格的なお寺である飛鳥寺や法隆寺が建てられたのもこの時期です。激しい権力争いと内乱を乗り越え、ついに国号が「日本」となり、君主が「天皇」と呼ばれるようになった、現代の日本の骨格が完成した超重要な激動の時代です。
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日本初の女性天皇と天才・聖徳太子

592年、激しい権力争いの末に、日本で初めての女性天皇である推古天皇(すいこてんのう)が即位しました。彼女の政治をサポートしたのが、一度に10人の話を聞き分けたという伝説を持つ天才・聖徳太子(しょうとくたいし)です。当時、大きな権力を握って威張っていた豪族の蘇我馬子(そがのうまこ)と協力しながら、「天皇を中心とした、外国にもバカにされない立派な国を作ろう!」と、新しい国づくりへの壮大な挑戦が始まりました。
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実力主義と役人のルール作り

聖徳太子は、家柄に関係なく才能や手柄のある人材を役人に登用するため、冠位十二階(かんいじゅうにかい)という制度を作りました。役人のレベルを12色のカラフルな帽子で分ける画期的な実力主義のシステムです。さらに「天皇の命令は絶対!」「みんなで仲良く話し合いなさい」という役人の心構えを示した十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)も制定。豪族たちが勝手に威張るのを防ぎ、天皇のもとに権力を一つにまとめる基礎が築かれました。
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超大国・中国へ対等なラブレター?

当時の中国は「隋(ずい)」という強大な帝国でした。聖徳太子は進んだ文化や政治の仕組みを学ぶため、小野妹子(おののいもこ)らを遣隋使(けんずいし)として派遣します。その時、隋の皇帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す(日の昇る国のトップから、日の沈む国のトップへ手紙を送ります)」という、対等をアピールする強気な手紙を渡しました。皇帝は激怒しますが、日本の独立性を強く示した歴史的瞬間です。
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華やかな仏教文化「飛鳥文化」

この時代は、大陸から伝わった仏教が大きく花開いた時代でもありました。これを飛鳥文化(あすかぶんか)と呼びます。聖徳太子が建てた法隆寺(ほうりゅうじ)は、現在も世界最古の木造建築として残っています。仏教の力で国を平和にしようと考えたリーダーたちは、こぞって立派なお寺を建て、美しい仏像を作らせました。日本という国に、お寺や仏教の教えがしっかりと根付いた最初の時代であり、文化が一気にレベルアップした時期なのです。
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蘇我氏を倒せ!宮中の大暗殺事件

聖徳太子の死後、蘇我氏が天皇を無視してやりたい放題に権力を振るうようになります。これに激怒した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、645年に宮中でトップの蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼしました!この劇的なクーデター事件(乙巳の変)から始まる、天皇中心の新しい政治体制への大改革を大化の改新(たいかのかいしん)と呼びます。日本初の元号「大化」もこの時に作られ、日本の歴史が大きく動きました。
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土地と人民はすべて天皇のもの!

大化の改新の最大の目玉は「公地公民(こうちこうみん)」というルールです。それまで豪族たちが勝手に持っていた土地や人々を、すべて天皇(国)のものにしました。そして、国が人々に平等に田んぼを貸し与え、そこから税金を取る班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)という画期的なシステムをスタートさせます。これによって、豪族の力を弱め、国の税収を安定させるという強固な国づくりのための大改革が成し遂げられたのです。
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海の向こうでの大敗北と防衛強化

国内の改革を進める一方で、日本は朝鮮半島の争いにも巻き込まれます。663年、日本は同盟国である百済(くだら)を助けるために大軍を送りますが、白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で唐(中国)・新羅の連合軍に大惨敗してしまいます。「唐が日本に攻めてくるかもしれない!」とパニックになった中大兄皇子(のちの天智天皇)は、九州に水城と呼ばれる防衛ラインを築き、都を内陸の近江(滋賀県)へ移して敵の攻撃に必死に備えました。
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古代最大の内乱!壬申の乱

天智天皇が亡くなると、次の天皇の座を巡って、天皇の弟(大海人皇子)と息子(大友皇子)の間で激しい戦争が勃発しました。これを壬申の乱(じんしんのらん・672年)と呼びます。なんと、地方の豪族たちを味方につけた弟側が勝利し、天武天皇(てんむてんのう)として即位しました。戦争に勝って実力でトップに立った天武天皇の権力は圧倒的で、彼の時代に「天皇」という呼び名が本格的に使われ始めたとされています。
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ついに誕生!「日本」と「法律」

天武天皇の妻である持統天皇(じとうてんのう)らに引き継がれた国づくりは、ついに完成の時を迎えます。701年、刑罰のルール(律)と政治のルール(令)をまとめた大宝律令(たいほうりつりょう)が完成しました!これにより、日本は法律に基づいて国を治める「律令国家」の仲間入りを果たしました。また、この頃から国号を「倭(わ)」から「日本」へと正式に変更したと考えられています。私たちが知る「日本」の誕生です。
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日本初の本格的な巨大都市「藤原京」

持統天皇は、大宝律令という立派な法律にふさわしい、中国の真似をした巨大で計画的な都・藤原京(ふじわらきょう)を造り上げました。道路が碁盤の目のように規則正しく並んだ、日本初の本格的な首都です。飛鳥時代は、バラバラだった豪族たちが天皇のもとにまとまり、「日本」という法律で動く巨大な国へと劇的に進化した時代でした。そして710年、都が平城京へと移され、華やかな奈良時代へと歴史の舞台は移っていきます。
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