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藤原純友の乱 ふじわらのすみとものらん

🕒 939年 〜 941年
📍 場所: 愛媛県 瀬戸内海、四国、大宰府など 👤 関連: 藤原純友
939年から941年にかけて、藤原純友(ふじわらのすみとも)が瀬戸内海の海賊たちを率いて起こした大反乱です。元々は海賊を取り締まる役人でしたが、逆に彼らを束ねるボスとなって四国や中国地方へ勢力を拡大し、九州最大の役所である大宰府(だざいふ)まで焼き落とす大暴れをしました。同時期に関東で起きた「平将門の乱」と合わせて承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)と呼ばれ、テストに超頻出する重要キーワードです。最終的に源経基(みなもとのつねもと)ら武士の力によって鎮圧されました。
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海賊のボスは元エリート役人!?

平安時代の中期、瀬戸内海では海賊が大暴れして都へ運ぶ税金(物資)の船を襲っていました。困った朝廷は、名門貴族の血を引く藤原純友(ふじわらのすみとも)を海賊退治のリーダー(伊予掾:いよのじょう)として現在の愛媛県へ派遣します。ところが、純友は海賊を退治するどころか「俺が本当のリーダーになってやる!」と寝返り、なんと数千隻もの船を操る海賊の巨大な大ボスになってしまったのです。
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東西同時多発テロ!?朝廷の絶望

純友が瀬戸内海で本格的に暴れ出した939年、奇しくも関東地方では平将門が「新皇」を名乗って独立を宣言していました(平将門の乱)。東と西で同時に起きた巨大な反乱に、京都の貴族たちは「将門と純友が裏で手を結んで、京都を挟み撃ちにする気だ!」と大パニックに陥りました。この二つの反乱をセットにして承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)と呼びます。
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ターゲットは西の都・大宰府

勢いに乗る純友の海賊艦隊は、瀬戸内海から四国、中国地方へと暴れ回り、ついには九州の大宰府(だざいふ)にまで襲いかかります。大宰府は外国との交渉窓口であり、西日本の防衛拠点でもある超重要な役所です。純友軍はここを完全に占領して火を放ち、国が管理していた宝物や武器を根こそぎ奪い取ってしまいました。西日本の海と要衝は、一時的に純友の支配下に落ちたのです。
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追いつめられる純友と博多湾の激戦

「このままでは国が滅びる!」と焦った朝廷は、小野好古(おののよしふる)や、清和源氏(せいわげんじ)の先祖にあたる源経基(みなもとのつねもと)たちを討伐軍として派遣しました。941年、現在の福岡県である博多湾(博多津)で、朝廷の軍船と純友の海賊艦隊が激突します。最新の武器と戦術を持った朝廷軍の猛攻の前に、無敵を誇った海賊艦隊はついに壊滅的な打撃を受けました。
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海賊王の最期と「武士」の台頭

戦いに敗れた純友は、わずかな小舟に乗って自分の本拠地である日振島(ひぶりじま:愛媛県)へ逃げ帰りましたが、最後は討伐軍に捕らえられて処刑(または獄中で病死)されました。将門と純友の反乱は鎮圧されましたが、これらの強大な反乱を解決したのは、貴族ではなく「武力を持った武士たち」でした。この東西の大反乱をきっかけに、武士が歴史の表舞台へと飛び出していく特大ドミノが倒れたのです。
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