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第1次遣唐使の派遣と帰国 だいいちじけんとうしのはけんときこく 外交 ☆ 重要

🕒 630年8月5日 〜 632年8月 📜 飛鳥時代
国: 日本,唐 📍 場所: 飛鳥、長安(唐の都) 👤 関連: 犬上御田鍬,舒明天皇
630年から632年にかけて、舒明天皇(じょめいてんのう)の命令により、日本史上初となる遣唐使(けんとうし)が派遣され、無事に帰国を果たした歴史的事件です。初代大使には最後の遣隋使でもあったベテラン外交官の犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)が選ばれました。彼らは命がけの航海の末、世界最大の帝国であるの最新の政治や法律を学び、帰国時には唐の公式な使者である高表仁(こうひょうじん)や、24年間も中国で学んだ留学僧の(みん)を伴うことに成功しました。日本の政治を大きく進化させる決定的な契機となります。
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巨大帝国「唐」の誕生

618年、中国大陸を統一していた巨大帝国「隋」が滅亡し、代わって「(とう)」という新しい王朝が建国されました。当時の日本の天皇であった舒明天皇(じょめいてんのう)と朝廷のリーダーたちは、「お隣の巨大な国で何が起きているのか、最新の情報を手に入れなければならない」と強い危機感を抱きます。国の安全を守り、新しい国造りの参考にするため、唐へ公式な使節団を送ることが決定されました。
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ベテラン外交官の抜擢

630年(舒明天皇2年)、日本史上初となる第1回の遣唐使(けんとうし)の派遣が決定しました。この記念すべき初代大使に大抜擢されたのが、犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)という人物です。実は彼は、かつて614年に派遣された「最後の遣隋使」も務めた経験豊富なベテラン外交官でした。彼と一緒に、副使として薬師恵日(くすしのえにち)らも選ばれ、日本の未来を背負って海を渡ることになります。
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決死の覚悟と命がけの航海

当時の航海は、木造の帆船で荒れ狂う東シナ海を渡るという、まさに命がけの危険な旅でした。嵐で船が沈没したり、遭難したりする確率が非常に高く、無事に海を渡れる保証はどこにもありません。しかし犬上御田鍬たちは、先進国であるの進んだ政治システムや法律、優れた文化を学び取り、日本をより強く豊かな国にするという強い使命感を胸に抱き、決死の覚悟で荒波へと船を漕ぎ出していきました。
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長安での歓迎と圧倒的なスケール

命がけの航海の末、無事に中国大陸に到着した一行は、唐の都である長安へと向かいました。そこで彼らは、時の皇帝である太宗(たいそう)と謁見します。当時の長安は世界最大の国際都市であり、その圧倒的なスケールと華やかな文化、そして完璧に整備された法律のシステムに、犬上御田鍬たちは深く感銘を受けました。彼らはここで、日本の国造りのお手本となる最先端の知識をどん欲に吸収していったのです。
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唐の使者・高表仁を伴う帰国

長安での見事な外交交渉を終えた犬上御田鍬たちは、632年に無事に日本への帰路につきます。この第1次遣唐使の最大の功績の一つは、単に知識を持ち帰っただけでなく、唐の皇帝の正式な使者である高表仁(こうひょうじん)を日本へ伴って帰国することに成功した点です。唐という世界最強の帝国が、公式に日本の朝廷に使者を送ってきたことは、日本の国際的な地位を確立する上で非常に大きな意味を持っていました。
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24年ぶりの帰郷!天才学問僧の旻

この帰国の船には、もう一人非常に重要な人物が乗っていました。それは、かつて小野妹子らと共に遣隋使として中国に渡り、そのまま現地に残って24年間も勉強を続けていた学問僧の(みん)です。彼は中国の最新の仏教だけでなく、政治や暦(カレンダー)の知識も身につけた超エリート知識人でした。旻の帰国は、当時の日本にとって何千冊もの百科事典を手に入れるのと同じくらいの計り知れない価値がありました。
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高表仁との前代未聞のトラブル

しかし、一緒に来日した唐の使者・高表仁とは大きなトラブルが起こります。当時の唐は「世界の中心は自分たちだ」という中華思想を持っていたため、高表仁は日本の朝廷を「家来」のように見下した態度をとりました。これに対して日本の皇族が反発して激しい口論となり、怒った高表仁は、なんと唐の皇帝からの手紙(国書)を渡すことなく、さっさと帰国してしまうという前代未聞の外交問題に発展してしまったのです。
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対等な独立国としての強いプライド

一見すると外交の大失敗に見えるこの高表仁とのトラブルですが、実は非常に重要な意味を持っています。かつての「倭の奴国王」のように中国の皇帝からハンコ(金印)をもらって家来になる道を選ばず、日本はあくまで「唐と対等な独立国である」という強いプライドを主張した結果だったからです。巨大帝国に対しても決してペコペコしないという、日本の国家としての強い独立心が現れた歴史の象徴的な出来事でした。
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最新知識がもたらした衝撃

外交トラブルはあったものの、犬上御田鍬や学問僧のが持ち帰った最新の国際情勢や法律の知識は、日本の朝廷に計り知れない衝撃を与えました。特に、天皇(皇帝)にすべての権力を集め、法律によって国を治めるという唐の中央集権的なシステムは、当時のバラバラだった日本の政治を変えるための最高のお手本となりました。帰国した彼らは、朝廷の最高顧問として新しい国造りの中心メンバーとなっていきます。
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大化の改新へのバトン

この第1回遣唐使が持ち帰った「唐の優れた国家システム」の知識は、やがて中大兄皇子や中臣鎌足といった若い世代のリーダーたちに強い影響を与えました。彼らは旻から直接最先端の学問を学び、「日本も唐のような強い国に生まれ変わらなければならない!」と決意します。犬上御田鍬らの命がけの旅は、のちに645年に起こる大化の改新という国家大改造の端緒を開いた、歴史の決定的な分岐点となったのです。
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