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異国船打払令 いこくせんうちはらいれい 政治

🕒 1825年
📍 場所: 日本全国の沿岸 👤 関連: 徳川家斉
江戸幕府が1825年に発布した、日本の沿岸に近づく外国船を問答無用で砲撃して追い払うよう命じた法令です。当初は水や食料を与えて穏便に帰らせる方針(薪水給与令)でしたが、イギリス船などによる略奪事件(フェートン号事件や宝島事件など)が相次いだことで、幕府は強硬な鎖国政策へと転換しました。「無二念打払令」とも呼ばれます。のちにモリソン号事件などを経て、アヘン戦争での清の敗北を知った幕府は方針を撤回しますが、幕末への混乱の端緒を開いた重要な出来事です。
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鎖国と穏便な対応

江戸時代、日本は鎖国(さこく)という政策をとっており、外国との交流は長崎のオランダや中国などに限られていました。しかし、18世紀後半からロシアやイギリスなどの船が日本の近海に姿を見せるようになります。当初、幕府は「文化の薪水給与令(しんすいきゅうよれい)」というルールを出し、迷い込んできた外国船には水や食料、薪などを与えて、波風を立てずに穏便に帰らせるという、比較的優しい対応をしていました。
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ヨーロッパの戦争がもたらした衝撃

しかし、ヨーロッパで起きたナポレオン戦争の影響が、遠く離れた日本にも波及します。1808年、オランダと敵対していたイギリスの軍艦が、オランダ船を追って長崎の港に突然侵入しました。これが「フェートン号事件」です。イギリス船はオランダの商館員を人質にとり、水や食料を強引に奪って去っていきました。日本の平和な海が外国の軍事力によって破られたこの事件は、江戸幕府の役人たちに強烈な危機感を植え付けました。
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日本近海を荒らす捕鯨船

さらに19世紀に入ると、太平洋でクジラを獲るためのイギリスやアメリカの捕鯨船が、日本の近海に頻繁に出没するようになります。彼らは長期間の航海で不足した水や食料、薪を補給するために、幕府の許可なく勝手に日本の海岸に近づき、時には上陸することも辞しませんでした。言葉の通じない屈強な外国人水夫たちが突然村に現れることは、海岸沿いに住む日本の農民や漁師たちにとって、とてつもない恐怖と不安の種だったのです。
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常陸国で起きた大津浜事件

1824年、ついに決定的な事件が起こります。常陸国(現在の茨城県北茨城市)の大津浜に、イギリスの捕鯨船の船員たちがボートで勝手に上陸してきたのです(大津浜事件)。彼らは言葉が通じないまま地元の人々とトラブルになり、水戸藩の武士たちが大勢で駆けつけて彼らを捕縛する騒ぎとなりました。この事件は、江戸のすぐ近くの海岸に外国人が武器を持って上陸したということで、幕府のトップたちを震え上がらせました。
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薩摩の宝島での略奪と銃撃戦

同じ1824年、今度は南の薩摩藩(鹿児島県)に属する小さな島、宝島にもイギリスの捕鯨船が上陸します(宝島事件)。イギリス船員たちは島民に対して「牛を譲ってくれ」と要求しましたが、言葉が通じずに交渉は決裂。すると彼らは強引に牛を奪い取り、止めに入った島の役人と銃撃戦になってしまったのです。役人はイギリス船員の一人を射殺し、船は逃げ去りました。日本の領土内で起きたこの武力衝突は、幕府を激怒させます。
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限界を超えた幕府の怒り

「これ以上、外国船の無法な振る舞いを許すわけにはいかない!」。大津浜事件と宝島事件という立て続けのトラブル報告を受け、幕府の怒りと危機感はついに限界を超えました。「水や食料を与えて優しく帰らせる方針だから、外国船が図に乗って次々とやってくるのだ」。幕府の首脳陣は、これまでの穏便な対応が完全に裏目に出たと判断し、国防を守るために極めて強硬な手段に出ることを決意します。
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異国船打払令の発布

1825年、幕府は全国の大名に対して、歴史のテストに必ず出る異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を発布しました。「今後は、日本の沿岸に近づく外国船を見つけたら、事情を問わず大砲を撃ち込んで追い払え。上陸した外国人は逮捕または殺害せよ」という、極めて過激な命令です。二度と考えるなという意味で「無二念打払令」とも呼ばれました。鎖国政策を最も厳格に強化した瞬間でした。
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不足していた世界情勢の把握

この強硬な法令の背景には、幕府の世界情勢に対する「情報不足」もありました。当時、幕府はオランダからの報告書(オランダ風説書)を通じてしか海外の情報を得ておらず、産業革命を経て強大な軍事力を持ったイギリスやアメリカの本当の恐ろしさを十分に理解していなかったのです。「大砲で脅せば逃げていくだろう」という幕府の甘い考えは、やがて日本を国際的な孤立と致命的なトラブルへと導いていくことになります。
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モリソン号事件の悲劇

異国船打払令が引き起こした最大の悲劇が、1837年のモリソン号事件です。アメリカの商船モリソン号は、海で遭難した日本人の漂流民を助け、彼らを故郷に送り届けるために非武装で日本へやって来ました。しかし、法令を忠実に守る浦賀や薩摩の役人たちは、事情も聞かずに大砲で激しく砲撃し、親切なモリソン号を追い返してしまったのです。恩を仇で返すこの残酷な対応は、国内の知識人たちからも強い批判を浴びました。
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アヘン戦争の衝撃と開国への道

強気だった幕府の態度は、1840年に中国で起きたアヘン戦争によって一変します。大国である清(中国)が、イギリスの圧倒的な近代兵器の前にボロ負けしたというニュースは、日本中を恐怖のどん底に突き落としました。「このままでは日本もイギリスに滅ぼされてしまう」。慌てた幕府は1842年に異国船打払令を撤回し、再び水や食料を与える方針に戻します。この一連の出来事は、日本が厳しい鎖国を諦め、開国へと向かう歴史の決定的な契機となったのです。
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