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生類憐れみの令 しょうるいあわれみのれい

🕒 1685年10月 〜 1709年01月20日
📍 場所: 東京都 江戸を中心に全国へ 👤 関連: 徳川綱吉
第5代将軍・徳川綱吉が出した、日本史上最も有名で「天下の悪法」とも呼ばれる法律です。それが生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)です。犬や猫だけでなく、鳥や魚、さらには虫に至るまで「生き物をいじめてはいけない」という極端な動物愛護の法律でした。特に犬を特別扱いしたため、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」とあだ名されました。違反した者は死刑や島流しなど厳しく処罰されたため、庶民は大変苦しみました。しかし近年では、「戦国時代の殺伐とした雰囲気を消し、命を大切にする平和な世の中を作るための政策だった」と見直されています。
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犬公方・綱吉と世継ぎ問題

江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)は、学問が大好きで真面目な性格でしたが、一つ大きな悩みを抱えていました。それは、次の将軍となる「男の子(跡継ぎ)」がなかなかできないことでした。心配した綱吉の母である桂昌院(けいしょういん)が、お坊さんに相談したところ、「前世で生き物をたくさん殺した報いです。生き物、とくに将軍様の生まれ年である『犬』を大切にすれば、必ず世継ぎが生まれますよ」とアドバイスされました。これがキッカケになったという説が有名です。
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エスカレートする「命を大切に」

最初は「犬猫をいじめないように」という軽いお触れでしたが、真面目すぎる綱吉はエスカレートしていきます。1685年頃から約24年間にわたり、なんと135回以上も動物を保護する法律が出されました。これらをまとめて生類憐れみの令と呼びます。対象は犬や猫だけでなく、牛、馬、鳥、魚、さらには蚊やハエなどの虫にまで及びました。「魚を釣ってはいけない」「捨て子や行き倒れの人も保護しろ」など、内容はどんどん極端になり、人々の生活に大きく干渉するようになっていきました。
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お犬様ファーストの異常な世界

とくに特別扱いされたのが犬です。江戸の町で犬がケンカをしていると、役人が飛んできて「お犬様、おやめください!」と仲裁に入り、大名ですら道を譲らなければなりませんでした。さらに綱吉は、江戸の中野(現在の東京都中野区)などに東京ドーム数十個分という巨大な「犬小屋」を建設し、なんと約10万匹もの野犬を税金で超VIP待遇で飼育したのです。毎日のエサ代だけで莫大なお金がかかり、その負担はすべて農民や庶民に重くのしかかりました。
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恐怖の密告社会と重すぎる罰

この法律が「天下の悪法」と呼ばれた最大の理由は、違反した時の罰が異常に重かったことです。犬を叩いたり石を投げたりしただけで逮捕され、犬を殺せば切腹や死刑、島流しになることもありました。さらに「あいつが犬をいじめていました」と密告すればご褒美がもらえる制度まで作られたため、江戸の町は「誰に見られているか分からない」という疑心暗鬼の密告社会になってしまいました。庶民は常にお犬様の機嫌を伺いながら、ビクビクして生活する地獄の日々だったのです。
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現代の評価!実は「文治政治」?

長い間「狂った法律」と言われてきた生類憐れみの令ですが、最近の歴史の研究では評価がガラリと変わってきています。当時の日本は戦国時代の名残があり、「人を殺しても平気」「弱い者を切り捨てる」という野蛮な空気がまだ残っていました。綱吉は、学問(儒教)の教えを広め、武力ではなく法律で国を治める文治政治(ぶんちせいじ)を目指していたのです。「生き物の命を大切にしなさい」と徹底的に教育することで、野蛮な武士たちを平和な社会に馴染ませる高度な政策だったとも言われています。
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綱吉の死と、悪法の終わり

1709年、徳川綱吉がこの世を去ります。綱吉は死の直前まで「自分が死んでも、この法律だけは絶対に続けてくれ」と遺言を残しました。しかし、次の第6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)と、優秀な学者である新井白石(あらいはくせき)は、世の中の人々がどれほど苦しんでいるかをよく知っていました。彼らは綱吉の葬儀が終わるやいなや、即座に生類憐れみの令を廃止しました。このニュースに江戸中の人々は歓喜し、新しい時代を大歓迎したのです。
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