1783年(天明3年)、群馬県と長野県の境にある浅間山が歴史的な大噴火を起こした出来事です(天明大噴火)。大量の火山灰や泥流が山のふもとの村々を飲み込み、多くの犠牲者を出しました。さらに、空を覆った火山灰によって太陽の光が遮られ、全国的な大冷害(異常気象)を引き起こしました。これが原因で日本史上最悪の天明の大飢饉が深刻化し、当時の政治トップだった田沼意次が失脚する原因にもなった、江戸時代の歴史を大きく変えた特大ドミノの一つです。
1783年(天明3年)、群馬県と長野県にまたがる浅間山が、数ヶ月にわたって大噴火を繰り返しました。特に8月の大爆発は凄まじく、ドーン!という轟音とともに巨大な火柱が上がり、大量の軽石や火山灰が空から降り注ぎました。現在の関東地方一帯にまで真っ白な火山灰が降り積もり、遠く離れた江戸の町でも昼間から太陽が隠れて薄暗くなるほどの異常事態となりました。日本史上に残る、トップクラスの超巨大な火山災害だったのです。
噴火の恐ろしさは灰だけではありませんでした。山肌に積もった大量の火山灰や石が、雨水や川の水と混ざり合って巨大な土石流(泥流)となりました。この高温の「泥の津波」は、すさまじいスピードで山のふもとへ一気に流れ下り、通り道にあった村々を次々と丸ごと飲み込んでしまったのです。特に被害が大きかった群馬県の鎌原村(かんばらむら)では、逃げ遅れた数百人の村人が一瞬にして生き埋めになり犠牲になるという、想像を絶する大惨事となりました。
浅間山の噴火が歴史を変えた最大の理由は、空高く舞い上がった「火山灰」にあります。大量の灰が空を覆い尽くして太陽の光を遮ってしまったため、日本全国の気温がグッと下がる異常気象(冷害)を引き起こしました。東北地方では真夏なのに綿入れ(冬服)が必要なほど寒くなり、農作物は大ダメージを受けて全く育たなくなってしまったのです。実は同じ時期にアイスランドの火山も大噴火しており、地球全体の気温が下がっていたとも言われています。
この異常気象によってお米が全く収穫できなくなり、日本史上最悪と言われる天明の大飢饉(てんめいのだいききん)がさらに深刻化しました。全国で食べ物がなくなり、餓死したり病気になったりして、数十万人もの人々が命を落としたとされています。農村は荒れ果てて人々は行き倒れ、食べ物を求める民衆によって都市部でも打ちこわし(米屋などを襲撃する暴動)が頻発するなど、日本中がこの世の地獄のような大パニックに陥りました。
世の中が大混乱する中、人々の怒りの矛先は、当時の政治のトップで商業重視の政策を行っていた老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)に向けられました。「こんな大災害が起きて皆が苦しんでいるのは、賄賂(わいろ)がはびこる田沼の政治が悪いからだ!」と激しい非難を浴びた田沼は、この浅間山大噴火や大飢饉の責任を問われる形で権力の座から引きずり下ろされてしまいます。一つの火山の大爆発が、日本の政治のトップを交代させる歴史の特大ドミノを容赦なく倒したのです。