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江戸時代(初期) えどじだい(しょき)

🕒 1603年03月24日 〜 1689年
📍 場所: 東京都 江戸 👤 関連: 徳川家康,徳川秀忠,徳川家光
1603年に徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に江戸幕府を開いてから、鎖国体制が完成し平和な世の中の基盤が作られた江戸時代の最初の約100年間です。将軍は大名たちを厳しく統制するため、武家諸法度参勤交代の制度を作りました。また、キリスト教徒の反乱である島原・天草の一揆を鎮圧し、外国との貿易を長崎の出島のみに制限する鎖国体制を完成させました。これにより、日本は約260年続く、世界でも類を見ない長期的な平和(太平の世)の基盤をガッチリと固めることになります。
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約260年の平和の幕開け!江戸幕府誕生

1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康(とくがわいえやす)は、1603年に朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され、現在の東京に江戸幕府を開きました。かつては湿地帯の田舎だった江戸は、大規模な埋め立てや運河の整備によって巨大都市へと生まれ変わります。ここから約260年間にもわたって戦争のない、世界でも類を見ない平和な時代「江戸時代」がスタートしたのです。
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豊臣氏の滅亡と「元和偃武」

幕府を開いた後も、大坂城には豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼が強大な力を持って残っていました。家康は自らの死が近づく中、徳川家の安泰のために豊臣氏を完全に滅ぼすことを決意します。1614年の大坂冬の陣と翌年の大坂夏の陣で豊臣氏を滅亡させました。これにより戦国時代からの長い戦乱が完全に終わり、平和な世の中が訪れたことを「元和偃武(げんなえんぶ)」と呼びます。武士たちは戦いから政治の役人へと役割を変えていきました。
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大名をガッチリ管理!武家諸法度

2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)は、全国の大名を厳しくコントロールするため、1615年に武家諸法度(ぶけしょはっと)という大名向けの法律を制定しました。「勝手にお城を修理してはいけない」「許可なく結婚してはいけない」などの厳しいルールを設け、違反した大名は容赦なく領地を没収されました。また、大名を徳川家の親戚の「親藩」、昔からの家来の「譜代」、関ヶ原以降に従った「外様」に分け、巧妙に配置して反乱を防ぎました。
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大名はお金欠乏症?参勤交代

3代将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)は、1635年に武家諸法度を改定し、参勤交代(さんきんこうたい)の制度を義務付けました。これは大名に1年おきに自分の領地と江戸を行き来させるルールです。大勢の家来を連れた大名行列の旅費や、江戸の屋敷の維持費など、莫大なお金を使わせることで大名たちの財力を奪い、反乱を起こす余裕をなくすという超天才的なシステムでした。これにより、江戸と地方を結ぶ街道や宿場町も大きく発展しました。
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キリスト教の徹底弾圧と絵踏

江戸幕府は、キリスト教が広まることで信者たちが団結し、幕府の命令に従わなくなることを恐れました。また、宣教師の背後にいるスペインやポルトガルが日本を侵略するのではないかと警戒しました。そこで幕府はキリスト教を厳しく禁止し、キリストや聖母マリアの絵を踏ませて信者を見つけ出す絵踏(えふみ)を行いました。踏むのに使われた絵や銅板を「踏み絵」と呼び、踏まなかった者は厳しい拷問を受けたり処刑されたりしました。
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最大規模の反乱!島原・天草の一揆

1637年、九州の島原(長崎県)と天草(熊本県)で、重い税金の取り立てと厳しいキリスト教弾圧に耐えかねた農民たちが大反乱を起こしました。これが島原・天草の一揆(島原の乱)です。弱冠16歳のカリスマ少年・天草四郎(あまくさしろう)を総大将とした約3万人の一揆軍は、廃城に立てこもって幕府の12万の大軍を相手に数ヶ月も激しく戦いました。この大反乱にショックを受けた幕府は、キリスト教の取り締まりをさらに強化していくことになります。
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出島と「鎖国」の完成

キリスト教の侵入を完全に防ぐため、幕府は外国との付き合いを厳しく制限しました。日本人の海外渡航を禁止し、1639年にはポルトガル船の来航を禁止。貿易を許されたのは、キリスト教を広めないオランダと中国(清)だけに限定され、長崎に作られた人工の島・出島(でじま)でのみ取引が行われました。この一連の徹底した外国排除と管理の体制を、後世の人々は鎖国(さこく)と呼ぶようになります。幕府による完璧な国のコントロール体制の完成です。
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身分を固定!士農工商と村のルール

幕府は社会の秩序を守るため、人々を武士・百姓(農民)・職人・商人の身分に分ける士農工商(しのうこうしょう)という考え方を広めました。特に人口の8割を占める農民には、勝手に土地を売買させない法令を出して、確実にお米(年貢)を納めさせました。さらに、村の農民たちを数軒ずつのグループに分ける五人組(ごにんぐみ)という制度を作り、年貢の納入や犯罪の防止を連帯責任にして、お互いを監視させ合いました。
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世界へ羽ばたいた!朱印船貿易

鎖国が完成する前の江戸時代初期、家康は海外との貿易を積極的に推奨していました。幕府から特別な許可証をもらった船が東南アジアへ渡って行う朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)です。京都や堺の豪商たちが活躍し、タイやベトナムなどの各地に日本人が住む「日本町」が作られました。しかし、鎖国政策が進む中で日本人の海外渡航や帰国が禁止されると、この活発だった海外進出の波はピタリと止まってしまいました。

家康を神として祀る!日光東照宮

江戸時代初期に栄えた文化を「寛永文化(かんえいぶんか)」と呼びます。この時代を象徴する建造物が、栃木県にある日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)です。3代将軍の家光が、おじいちゃんである家康を「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」という神様として祀るために、全国の大名にお金を出させて大改築しました。「眠り猫」や「三猿」などの豪華絢爛な彫刻が施され、徳川幕府の圧倒的な権威を全国に知らしめるシンボルとなりました。
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