正中の変 しょうちゅうのへん

🕒 1324年9月19日 〜 1324年9月 🐎 鎌倉時代
📍 場所: 京都府 京都 👤 関連: 後醍醐天皇,日野資朝
1324年、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が鎌倉幕府を倒そうと計画したものの、事前にバレて失敗に終わった事件です。天皇の側近である日野資朝(ひのすけとも)らが中心となり、「無礼講(ぶれいこう)」という飲み会を装って不満を持つ武士たちを集めて密議を行っていましたが、仲間の裏切りにより京都の監視機関である六波羅探題(ろくはらたんだい)に密告されてしまいました。この正中の変では幕府も天皇を直接罰することはできず、これがのちの巨大な倒幕運動(元弘の変)へと繋がる重要なドミノの1枚目となりました。
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幕府を倒せ!執念の天皇の決意

鎌倉時代の終わり頃、政治の実権は完全に鎌倉幕府(北条氏)に握られ、天皇の力はとても弱くなっていました。そんな中、即位したのが非常にプライドが高くエネルギッシュな後醍醐天皇(ごだいごてんのう)です。彼は「もう一度、天皇自身が国を直接治める正しい時代(天皇親政)を取り戻す!」と強く決意します。そのためには、目の上のたんこぶである鎌倉幕府をなんとしても武力で倒さなければならないと考え、密かに討幕の計画を練り始めました。
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飲み会を装ったアブナイ秘密会議

幕府の厳しい監視の目をかいくぐるため、後醍醐天皇の側近である日野資朝(ひのすけとも)や日野俊基(ひのとしもと)らは、お酒を飲んで身分に関係なくドンチャン騒ぎをする「無礼講(ぶれいこう)」という怪しいパーティーを何度も開きました。実はこのパーティーの裏の目的は、幕府に不満を持つ武士や悪党(あくとう:反抗的な武士)たちを集め、幕府を倒すための危険な秘密会議を行うことだったのです。彼らはお酒の席を装って、着々と武力討伐の準備を進めました。
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まさかの裏切り!計画がバレた日

しかし1324年(正中元年)、この極秘計画はあっけなく失敗に終わります。なんと、仲間に引き入れていたはずの武士(土岐頼員)が、ポロっと妻に計画を漏らしてしまい、そこから京都にある幕府の監視機関・六波羅探題(ろくはらたんだい)に密告されてしまったのです!幕府の軍勢はすぐさま京都に突入し、日野資朝ら倒幕グループの主要メンバーたちを次々と逮捕してしまいました。この討幕未遂事件を正中の変(しょうちゅうのへん)と呼びます。
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ビビる幕府と、天皇の言い逃れ

首謀者が天皇であることは幕府にもバレバレでしたが、幕府は「天皇を処罰すれば、全国の武士や貴族が怒って大反乱になるかもしれない」とビビってしまいました。後醍醐天皇も「私は全く知らない!部下が勝手にやったことだ」と強気に白を切ったため、幕府は天皇を罰することができませんでした。結局、側近の日野資朝だけが佐渡島(新潟県)へ島流しにされ、他のメンバーは証拠不十分で許されるという、幕府側からするとかなり甘い処分で終わったのです。
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諦めない天皇、次の特大ドミノへ

幕府の甘い対応を見て、後醍醐天皇は反省するどころか「幕府は弱腰だ!いけるぞ!」と逆に自信を深めてしまいます。この正中の変は失敗に終わりましたが、天皇の「幕府を倒す」という燃え盛る執念を消すことはできませんでした。そして数年後、再び倒幕を企てる元弘の変(げんこうのへん)へと繋がり、やがて楠木正成や足利尊氏らを巻き込んだ、鎌倉幕府滅亡への巨大なドミノ倒しがここから加速していくことになるのです。
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