ホーム > 勉強ルーム > 日本史 年表 > 慶長遣欧使節

慶長遣欧使節 けいちょうけんおうしせつ

🕒 1613年9月15日 〜 1620年8月
📍 場所: 宮城県 仙台(宮城県)からスペイン、ローマへ 👤 関連: 伊達政宗,支倉常長
1613年、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね)が、スペイン国王やローマ教皇との直接貿易を目指してヨーロッパへ派遣した壮大な外交使節団が慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)です。家臣の支倉常長(はせくらつねなが)を副使として、太平洋と大西洋を横断するという当時としては奇跡的な大航海を成し遂げました。しかし、ヨーロッパに到着した頃には、日本では幕府がキリスト教を厳しく禁止(禁教令)していたため、交渉は悲しくも失敗に終わってしまった、ロマンと悲劇の歴史的イベントです。
スポンサーリンク
🦅

独眼竜の野望!世界へ目を向ける

天下分け目の関ヶ原の戦いが終わり、徳川家康が江戸幕府を開いた頃。東北の雄・伊達政宗(だてまさむね)は、まだ大きな野望を抱いていました。「スペイン(エスパーニャ)と直接貿易をして、仙台藩を豊かにしてやる!」と考えた政宗は、ヨーロッパへ巨大な船で外交使節団を送るという、とんでもないビッグプロジェクトを計画しました。これが、日本史に残る壮大な挑戦、慶長遣欧使節の始まりです。
🚢

太平洋と大西洋を越える奇跡の大航海

この超難関ミッションのリーダー(副使)に抜擢されたのが、政宗の信頼が厚い家臣・支倉常長(はせくらつねなが)と、宣教師のルイス・ソテロでした。1613年、彼らは政宗が作らせた巨大な洋式帆船「サン・フアン・バウティスタ号」に乗り込み、太平洋を横断してメキシコ(当時のヌエバ・エスパーニャ)へ渡ります。さらにそこから大西洋を越えてヨーロッパを目指すという、当時としてはまさに命がけの奇跡の大航海でした。

ヨーロッパ中が大熱狂!ローマ教皇と対面

長い長い航海の末、ついにスペインに到着した使節団は、国王フェリペ3世と面会します。常長はキリスト教の洗礼を受け、本場のヨーロッパ人たちから熱烈な大歓迎を受けました。さらに彼らはイタリアのローマへ向かい、ついにキリスト教のトップであるローマ教皇・パウロ5世との謁見(面会)という大偉業を成し遂げます。東の果ての国からやってきたサムライの姿に、当時のヨーロッパ中が驚きと熱狂に包まれました。
🚫

無念の交渉決裂…日本からの悪い知らせ

ローマ教皇にまで会えた常長たちですが、肝心の通商(貿易)交渉はうまくいきませんでした。なぜなら、彼らがヨーロッパで頑張っている間に、日本の江戸幕府がキリスト教を厳しく禁止する「禁教令(きんきょうれい)」を出し、国内で信者たちを迫害し始めていたからです。この情報がヨーロッパに伝わると、「キリスト教を弾圧するような国と貿易はできない!」と態度を硬化させられ、常長たちの交渉は悲しくも完全に決裂してしまいました。
😢

悲運の帰国劇…歴史の波に飲まれた男たち

目的を果たせなかった支倉常長は、出発からなんと7年後の1620年、ようやく日本(仙台)へ帰国しました。しかし、すでに日本はキリスト教を厳しく取り締まる時代になっており、常長の帰国を喜んでくれる人はほとんどいませんでした。常長は失意の中でひっそりとこの世を去り、慶長遣欧使節の記録も長らく忘れ去られてしまいます。しかし彼らが持ち帰った品々は、現在「国宝」として大切に保存され、その壮大な挑戦を今に伝えています。
スポンサーリンク
スポンサーリンク