「建武の新政」への不満から後醍醐天皇と決別し、激しい内乱(湊川の戦いなど)を勝ち抜いた足利尊氏は、京都を制圧して新しい天皇(光明天皇)を立てました。いよいよ新しい武士の政治をスタートさせるにあたり、「皆が安心できる、しっかりとした国のルールや目標が必要だ」と考えます。そこで、優秀な法律の専門家や学者たち(是円・真恵など)を集めて、「これからどんな政治をしていくべきか?」という質問を投げかけ、話し合いを行いました。
その話し合いの結果を17個の項目にまとめたものが建武式目です。「式目」という名前がついていますが、実は「泥棒をしたら死刑」のような厳しい法律(ルール)ではなく、「倹約(節約)を心がけよう」「えこひいきはやめよう」「マジメな人を役人にしよう」といった、政治の目標や道徳を示した「マニフェスト(政権公約)」のようなものでした。戦乱で荒れ果て、混乱した世の中を落ち着かせるために、まずは武士たちの心を正そうとしたのです。
建武式目の作成にあたり、尊氏たちが一番お手本にしたのが、約100年前に鎌倉幕府のトップである北条泰時(ほうじょうやすとき)が作った御成敗式目(ごせいばいしきもく)でした。「武士の法律といえば、やっぱり泰時さんの御成敗式目だよね!」と、その精神をリスペクトしてそのまま引き継ぐことを宣言しました。後醍醐天皇が始めた「天皇中心の政治」を否定し、「あの良かった鎌倉幕府の時代(武士の時代)のやり方に戻すぞ」という強いアピールでもあったのです。
この建武式目が発表された1336年は、一般的に室町幕府(むろまちばくふ)が開かれた年(成立年)とされています(※尊氏が征夷大将軍に任命された1338年とする説もあります)。尊氏が示したこの基本方針のもと、のちの第3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の時代に幕府の仕組みは完成し、華やかな室町文化が花開いていきます。建武式目は、室町幕府という新しい国づくりの「最初の設計図」として、歴史にしっかりと刻まれているのです。