10世紀初めの平安時代、国を治める朝廷は深刻な「お金不足(税金不足)」に悩んでいました。その最大の原因は、貴族や大きなお寺が持つ私有地である「荘園(しょうえん)」が増えすぎたことです。荘園は税金が免除される特権を持っていたため、一般の農民たちは重い税金から逃れるために、自分の土地をこっそり力のある貴族や寺社に「寄付(寄進)」するズルい裏技を使いまくっていました。その結果、国に税金が入らなくなってしまったのです。
「このままでは国が滅んでしまう!」と強い危機感を持ったのが、若きリーダーである第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)でした。彼は902年、増えすぎた荘園にメスを入れるため、日本で初めてとなる延喜の荘園整理令(えんぎのしょうえんせいりれい)を発令します。天皇一族の私有地(勅旨田)を自ら進んで廃止して手本を示しつつ、「これ以上、貴族や寺社に土地を寄付してズルをすることを絶対に禁ずる!」と、全国に厳しく命じたのです。
この整理令の中身はとても強気なものでした。偉い貴族や寺社(権門)に向かって、「勝手に農民から土地をもらうな!」「国の許可なく勝手に山や野原を開墾して自分の土地にするな!」と厳しく制限しました。さらに、地方で税金を集める役人(国司)に対しても、「お前らがちゃんと税金を取り立てないからこんな事になるんだ。サボったら厳しく罰するぞ!」と激しくカツを入れるなど、国の威信をかけた本気の改革案だったのです。
しかし、この本気の法律も結局は「大失敗」に終わってしまいます。なぜなら、ルールを取り締まって罰するべき朝廷のトップの貴族たち自身が、農民から土地をもらって一番ズルをして甘い汁を吸っていた「張本人」だったからです。警察が泥棒を兼ねているような状態では、真面目にルールが守られるはずがありません。結局、貴族たちの激しい抵抗や抜け道探しによって、法律は次第に無視されるようになってしまいました。
この延喜の荘園整理令が失敗したことで、朝廷は「もう戸籍を作って国民一人一人から税金を集める古いシステム(律令制)は完全に無理だ…」と諦めざるを得なくなりました。そして、人ではなく「土地」を基準にして、地方の有力者に税金の取り立てを丸投げする新しいシステムへと国のやり方を大転換していくことになります。一つの法律の失敗が、日本の政治システムを根本から変える歴史の大きなターニングポイントになったのです。