👤 関連: 藤原道長,藤原頼通,紫式部,清少納言,平将門
右大臣として活躍していた天才学者・菅原道真(すがわらのみちざね)ですが、ライバルである藤原氏の陰謀によって、九州の大宰府へと左遷(クビにして飛ばされること)されてしまいます。903年に道真が悔し涙とともに世を去ると、都では雷が落ちたり疫病が次々と発生したりと大災害が連発!人々は「道真の怨霊の呪いだ!」とパニックになり、やがて彼を学問の神様(天満宮)として祀るようになりました。強力なライバルを蹴落とした藤原北家は、朝廷でやりたい放題の権力を握る準備を整えていくのです。
藤原氏(特に北家)が権力を独占した最強の裏ワザが「天皇のおじいちゃんになること」でした。自分の娘を無理やり天皇のお妃(奥さん)にして、産まれた男の子を次の天皇にする外戚(がいせき)政策です。そして、天皇がまだ幼い子ども時代は摂政(せっしょう)として、大人になってからは関白(かんぱく)として、天皇の代わりに政治の実権を完全に握りました。このシステムを摂関政治と呼びます。藤原氏は代々このポジションを独占し、他の貴族たちを押さえ込んで朝廷のトップに君臨し続けました。
摂関政治のピークを迎えたのが、11世紀前半の藤原道長(ふじわらのみちなが)の時代です。彼はなんと自分の4人の娘を次々と天皇の后(きさき)にし、一家の権力を絶対に揺るがない盤石なものにしました。ある夜の宴会で、道長は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という和歌を詠みました。「この世界はすべて俺のものだ!満月のように足りないものは何もない!」という、超ドヤ顔の宣言です。誰も逆らえない、藤原氏の圧倒的な栄華の絶頂を示す有名なエピソードです。
道長の息子である藤原頼通(ふじわらのよりみち)も、父から権力と莫大な財産を受け継いで約50年も関白を務めました。この頃、世の中では「仏の教えが通じなくなる恐ろしい時代(末法)が来る」という噂が広まり、人々は不安に怯えていました。そこで、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば死後に極楽浄土へ行けるという浄土教(じょうどきょう)が大流行します。頼通は、その極楽浄土の美しい風景をこの世に再現しようと、京都の宇治に超豪華な平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)を建てました。
遣唐使が廃止されたことで、中国の真似を卒業し、日本の気候や日本人の繊細な感情に合った独自の文化が育ちました。これを国風文化(こくふうぶんか)と呼びます。最大の発明は、漢字を崩して作られた「かな文字(ひらがな・カタカナ)」です。それまでの難しい漢字ばかりの文章とは違い、自分の気持ちを柔らかく表現できるようになりました。この新しい文字を使って、貴族の女性たちが次々と素晴らしい文学作品を生み出し、日本の文化は世界に誇れるほどの華やかさを一気に増していくことになります。
かな文字の誕生により、朝廷で働く女性作家たちが大活躍しました。宮中に仕えていた紫式部(むらさきしきぶ)は、光る君というイケメン貴族の恋愛模様を描いた世界最古の長編小説『源氏物語』を執筆し、大ベストセラーになります。一方、ライバルの清少納言(せいしょうなごん)は、「春はあけぼのがサイコー!」と宮中でのオシャレな日常や鋭いツッコミを綴ったエッセイ『枕草子(まくらのそうし)』を書きました。この二大天才女性の作品は、1000年経った今の国語の教科書にも載る不朽の名作です。
都の貴族たちが雅な文学やドロドロの権力争いに夢中になっている頃、地方の政治はボロボロになっていました。国から派遣された役人(国司)が私腹を肥やし、治安は最悪に。そこで、自分たちの土地や財産(荘園)を泥棒などから守るため、農民や地方の豪族たちは自ら弓矢や刀を持って武装するようになります。この戦う集団こそが、のちに歴史の主役となる「武士(ぶし)」の誕生です。彼らはやがて血の繋がりなどで一族にまとまり、武士団という強大な軍事組織へと成長していきます。
地方で力をつけた武士たちは、ついに国(朝廷)に対して大規模な反乱を起こします。939年、関東地方で平将門(たいらのまさかど)が「俺が新しい天皇(新皇)だ!」と名乗りを上げて大暴れしました(平将門の乱)。時を同じくして、瀬戸内海でも藤原純友(ふじわらのすみとも)が海賊を率いて大反乱を起こします(藤原純友の乱)。この二つの反乱を合わせて承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)と呼びます。貴族たちは震え上がり、他の強い武士に頼んでようやく鎮圧しました。
反乱を鎮圧したのは、皮肉にも同じ「武士」たちでした。朝廷の貴族たちは戦う力を持っていなかったため、強い武士団を「用心棒」として雇うようになったのです。中でも、天皇の血を引くエリート武士である源氏(げんじ)と平氏(へいし)は別格の強さを誇りました。貴族のボディーガードや反乱の鎮圧で大活躍した彼らは、「ひょっとして貴族よりも俺たち武士の方が強いんじゃないか?」と自信を深め、次第に政治の世界へも強い発言力と影響力を持つようになっていくのです。
11世紀半ば、東北地方(奥州)で安倍氏という豪族が反乱を起こしました(前九年の役)。朝廷から鎮圧を命じられたのが、源氏のヒーローである源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)の親子です。彼らは約12年にも及ぶ激戦の末に安倍氏を打ち破りました。この戦いを通じて、東国の武士たちは「源氏のリーダーは強くて頼りになる!」と強く団結するようになります。華やかな藤原氏の貴族の時代の裏で、次なる「武士の時代」への足音が確実に大きくなっていたのです。