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平城京 遷都 へいじょうきょう せんと

🕒 710年03月 🦌 奈良時代
📍 場所: 奈良県 平城京 👤 関連: 元明天皇
710年、元明天皇によって藤原京から奈良の平城京へと都が移されました。「なんと(710)立派な平城京」の語呂合わせでおなじみですね。大宝律令で整備された国づくりの総仕上げとして、唐(中国)の首都・長安をモデルに造られた、碁盤の目のような区画(条坊制)を持つ巨大な国際都市です。ここから約80年続く奈良時代が始まり、シルクロードを通って伝わった国際色豊かな天平文化が華やかに花開きました。現在、平城宮跡は世界文化遺産に登録されています。
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「なんと(710)立派な」お引越し

710年、元明天皇は、それまでの藤原京から奈良盆地の北にある平城京へ都を移しました。「なんと(710)立派な平城京」の語呂合わせでおなじみですね。大宝律令が完成し、「新しい法律に基づいた新しい国づくり」を国内外にアピールするため、そしてより交通に便利な場所を求めての国家を挙げた大引っ越しプロジェクトでした。ここから約80年続く奈良時代が幕を開けます。
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お手本は超大国・唐の首都「長安」

平城京のデザインは、当時の世界最大の都市であった唐(中国)の首都「長安」を徹底的に真似して作られました。東西南北に真っ直ぐな道が走る「条坊制(じょうぼうせい)」と呼ばれる碁盤の目のような区画整理が特徴です。中央の北端に天皇の住まいや役所がある「平城宮」を置き、そこから南へ伸びるメインストリートを中心に、左京と右京にきっちりと分けられた、非常に計画的で美しい巨大都市でした。
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巨大メインストリート「朱雀大路」

平城宮の正面から南に向かって真っ直ぐに伸びるメインストリートが「朱雀大路(すざくおおじ)」です。その幅はなんと約74メートル!現代の高速道路もびっくりするほどの広さでした。外国からの使者がやってきたとき、この広大で真っ直ぐな道を通らせることで「日本はこんなに大きくて立派な国なんだぞ!」と見せつけるための強力なアピールポイントだったのです。両脇には柳などの美しい木が植えられていました。
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古代の巨大ショッピングモール

平城京の中には、「東市(ひがしのいち)」と「西市(にしのいち)」という二つの巨大な公営マーケット(市場)がありました。ここでは日本全国から集められた特産品、野菜、魚、布などが売買され、大勢の人々で賑わっていました。ちょうどこの頃に発行された日本初の流通貨幣である和同開珎(わどうかいちん)も使われ始めましたが、多くの庶民はまだまだお米や布を使った物々交換でお買い物を楽しんでいました。
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シルクロードの終着点

奈良時代は、遣唐使などを通じて外国の文化がどんどん入ってきた時代です。平城京は「シルクロードの終着点」とも呼ばれ、唐だけでなく、ペルシャ(中東)やインドなどの遠い異国の珍しい宝物や楽器が持ち込まれました。この国際色豊かで華やかな文化を天平文化(てんぴょうぶんか)と呼びます。聖武天皇の宝物を収めた正倉院(しょうそういん)には、当時のグローバルな宝物が今も奇跡的に残されています。
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古代のゴミ捨て場から世紀の発見!?

平城京の跡地を発掘すると、おびただしい数の木簡(もっかん)が見つかります。木簡とは、紙が貴重だった時代に文字を書いた「細長い木の板」のこと。全国から税金として送られてきた荷物の「荷札」や、役人のメモ書き、果ては「落書き」まで!当時の人々は使い終わった木簡を小刀で削って再利用し、最後はトイレのゴミ捨て場などに捨てていました。この「古代のゴミ」が、当時の人々のリアルな生活を伝える最高のタイムカプセルとなっています。
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貴族たちの超豪華なグルメ生活

都の中心に住む高級貴族たちは、広大な敷地にお屋敷を構え、超豪華な生活を送っていました。食事も豪華で、アワビやサケなどの海産物、牛乳を煮詰めて作った「蘇(そ)」という古代のチーズのような高級デザート、夏には氷室(ひむろ)に保存しておいた天然の氷を削って食べるなど、贅沢の極み!色鮮やかで豪華な衣装を身にまとい、天皇が開くパーティー(宴会)に参加して和歌を詠む、優雅な毎日を過ごしていました。
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華やかな都の裏の厳しい現実

しかし、華やかな都の生活を支えていたのは、一般の農民たちの過酷な労働でした。彼らは土を掘って柱を立てただけの質素な「竪穴住居」に住み、雑穀や海藻を混ぜた玄米を少しだけ食べるというギリギリの生活を送っていました。さらに、租・庸・調という非常に重い税金を払うため、遠い故郷から重い荷物を背負って何日もかけて平城京まで歩いてこなければならず、途中で倒れてしまう人もたくさんいたという厳しい現実もありました。
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ドロドロの権力争いと怨霊の恐怖

平城京は、政治のトップをめぐる血みどろの権力争いの舞台でもありました。天武天皇の孫である長屋王(ながやおう)が藤原氏の陰謀で自殺に追い込まれた「長屋王の変」など、ライバルを蹴落とす事件が頻発します。非業の死を遂げた者たちが「怨霊(おんりょう)」となって疫病や災害をもたらすと信じられていたため、都の貴族たちは常に恐怖と隣り合わせの、非常に緊張感のあるドロドロした日々を送っていました。
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世界遺産「古都奈良の文化財」

約80年間にわたって日本の中心だった平城京ですが、やがて桓武天皇によって平安京へと都が移されると、建物は解体されて田んぼへと戻り、土の下に静かに眠ることになりました。しかし近代の発掘調査によって壮大な都の姿が明らかになり、現在では「平城宮跡(へいじょうきゅうせき)」として第一次大極殿や朱雀門が美しく復元されています。1998年には「古都奈良の文化財」の一つとして、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
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