江戸時代より前の戦国時代、大きなお寺や神社は広大な領地と独自の軍隊(僧兵など)を持っており、時には大名すら倒してしまうほどの恐ろしいパワーを持っていました。織田信長や豊臣秀吉も、この巨大な宗教勢力を抑え込むのにものすごく苦労したのです。幕府を開いた徳川家も「お寺や神社がまた力を持って反乱を起こしたら、せっかくの平和な国が壊れてしまう!」と、彼らの力を強く警戒していました。
そこで1635年、第3代将軍・徳川家光は、全国の宗教勢力を幕府のルールの下でガッチリと管理するために、専用の役所である寺社奉行(じしゃぶぎょう)を正式に設置しました。彼らの仕事は、全国のお坊さんや神主さんが幕府のルールを破っていないか厳しく見張ることや、お寺・神社の領地で起きた揉め事の裁判を行うことでした。これにより、強い権力を持っていた宗教勢力も、完全に幕府のコントロール下に置かれることになったのです。
江戸幕府の重要な役職には、江戸の町を管理する町奉行(まちぶぎょう)、幕府の財政や土地を管理する勘定奉行(かんじょうぶぎょう)、そして寺社奉行の3つがあり、これらをまとめて三奉行(さんぶぎょう)と呼びます。テストの頻出用語です!中でも寺社奉行は三奉行のトップに立つ最も権威のあるポストで、将軍が古くから信頼している家臣(譜代大名)しか就任できない、出世のための超エリートコースの役職でした。
寺社奉行の仕事は厳しい取り締まりだけではありません。宗教関係者だけでなく、お寺や神社の領地に住んでいる一般人の殺人事件やお金のトラブルなどの裁判も担当しました。さらに、お寺が資金集めの為に行う「ご開帳(仏像の特別公開)」や「富くじ(江戸時代の宝くじ)」の許可を出すのも彼らの仕事でした。今でいう観光イベントのプロデューサーのような役割も果たしており、江戸の文化やエンタメを裏で支えていたのです。
この1635年という年は、寺社奉行が正式に置かれただけでなく、大名を定期的に江戸へ行き来させる「参勤交代(さんきんこうたい)」の制度がスタートしたり、日本人の海外渡航を禁止する法令が出されたりと、江戸幕府のルールが一気に固まった歴史の重要な年です。寺社奉行が宗教勢力を見事にまとめ上げたことで国内の反乱の芽は完全に摘み取られ、ここから約260年も続く「徳川の平和」の盤石な土台が完成したのです。