寧波の乱 にんぽーのらん

🕒 1523年 🍵 室町時代
国: 中国(明) 📍 場所: 寧波(ニンポー) 👤 関連: 大内義興,細川高国
1523年、明(中国)の港町・寧波(にんぽー)で、日本の大名である大内氏細川氏の使節団が、貿易の権利をめぐって大規模な乱闘事件を起こした前代未聞の国際問題。当時、日本と明は勘合貿易(かんごうぼうえき)で莫大な利益を得ていましたが、有効期限切れの許可証(勘合)を使って賄賂で優先権を得ようとした細川氏に対し、正規の許可証を持っていた大内氏がブチギレて襲撃。この事件により、日本の対外的な信用は地に落ち、明との正式な貿易が一時ストップするという大惨事となりました。
スポンサーリンク
💰

超美味しいビジネス「勘合貿易」

室町時代、日本と明(中国)の間で行われていた勘合貿易は、参加するだけで莫大な利益が出る超おいしいビジネスでした。明から日本の刀や扇子が飛ぶように売れ、逆に明からは高級な絹や陶磁器、そして大量の銅銭を仕入れることができたからです。しかし、海賊(倭寇)と正式な貿易船を見分けるために、明の皇帝が発行する「勘合(かんごう)」という特別な許可証を持った船しか、貿易に参加することは許されていませんでした。
🥊

貿易権をめぐる二大巨頭の争い

この超オイシイ貿易の権利をめぐって、日本の二大勢力が激しく対立していました。一つは、瀬戸内海を支配し堺(大阪府)の商人と組んだ管領の細川氏。もう一つは、西日本を支配し博多(福岡県)の商人と組んだ大名・大内氏です。彼らは「俺たちこそが日本の代表だ!」と主張し、少しでも多くの利益を独占しようと、火花を散らしていました。
🎫

有効期限切れチケットのズル

1523年、大内氏の貿易船が、最新の正規の「勘合(チケット)」を持って明の港町・寧波(にんぽー)に到着しました。ところが、そこにはなんと細川氏の船がすでに到着していたのです。しかも細川氏は、古い皇帝の名前が書かれた「有効期限切れの勘合」しか持っていませんでした。普通なら入港すらできないはずですが、細川氏の使節は明の役人に多額の賄賂(ワイロ)を渡し、ズルをして貿易の優先権を勝ち取ってしまったのです。
💢

大内氏ブチギレ!他国で大乱闘

「俺たちが正規のチケットを持っているのに、なんで期限切れのアイツらが優先されるんだ!ふざけるな!」これを知った大内氏の使節団(リーダーは宗設謙道)は、当然ながら大激怒。怒り狂った大内氏のメンバーは、なんと明の領土である寧波の街中で、細川氏の使節団(リーダーは鸞岡端佐)を襲撃!細川氏の船に火を放って焼き払い、積荷を奪うという暴挙に出ました。寧波の乱の勃発です。
😱

日本の恥!前代未聞の国際問題

大内氏の怒りはそれだけでは収まりませんでした。彼らは逃げる細川氏の使節を追いかけて、明の役人を殺害し、さらに周辺の街や村まで巻き込んで略奪や暴行を繰り返すという、完全な海賊行為(倭寇)を働いてしまったのです。他国の港で自国の代表団同士が殺し合い、あろうことか相手国の役人や民間人まで巻き込むという、日本外交史上、前代未聞の大不祥事となってしまいました。
🛑

明の激怒と貿易のストップ

当然ですが、明の皇帝は激怒します。「日本人は野蛮すぎる!あんな連中とは二度と取引しない!」。この事件を重く見た明政府は、日本に対する感情を極度に悪化させ、ついに日本との公式な貿易ルートを閉鎖してしまいました。細川氏と大内氏の欲張った争いが原因で、日本中が利益を得ていた「勘合貿易」という美味しいビジネス自体が、一旦完全にストップするという最悪の結末を迎えたのです。
👑

大内氏の独占と、貿易の終焉

その後、大内氏は必死に明へ謝罪と交渉を行い、十数年後になんとか貿易を再開させることに成功します。細川氏はすでに没落していたため、大内氏が日明貿易の利益を完全に独占することになり、西日本で絶大な力を誇るようになりました。しかし、1551年に大内氏が家臣の反乱で滅亡すると、誰も正式な貿易を行えなくなり、室町時代から続いた勘合貿易は、ついに完全に終わりを告げることになったのです。
🌊

密貿易と「後期倭寇」の活発化

大内氏が滅んで正式な貿易(勘合貿易)が終わっても、明の高級品を求める日本側の需要が消えたわけではありません。そこで増えたのが、許可証なしで勝手に貿易を行う「密貿易」です。やがて彼らは武装化し、中国の沿岸部を荒らし回る海賊団へと変貌していきました。これを「後期倭寇(こうきわこう)」と呼びます。寧波の乱は、東アジアの海の秩序が崩れ、無法地帯化していく大きなきっかけにもなりました。
スポンサーリンク
スポンサーリンク