奈良時代 ならじだい

🕒 710年 〜 794年 🦌 奈良時代
📍 場所: 奈良県 平城京 👤 関連: 聖武天皇,元明天皇,桓武天皇
710年に元明天皇が平城京に都を移してから、794年に平安京へ移るまでの約80年間。大宝律令による天皇中心の強い国づくりが進められましたが、農民たちは租・庸・調という重い税金に苦しみました。さらに疫病や反乱が続いたため、聖武天皇は仏教の力で国を平和にしようと東大寺の大仏を造ります。遣唐使がもたらした国際色豊かな天平文化が花開き、『古事記』や『万葉集』などの歴史書・文学が完成したのもこの時代。華やかさと人々の苦しみが交差する、古代国家のピークと言える時代です。
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なんと(710)立派な!国際都市の誕生

710年、元明天皇によって、唐(中国)の首都・長安をそっくり真似た巨大な都・平城京(へいじょうきょう/奈良県)が造られました。「なんと(710)立派な平城京」の語呂合わせで有名ですね。碁盤の目のように整然と区画された街には、10万人以上が住んでいたとされ、西の市や東の市といった市場には日本中から特産品が集まりました。外国からの使者も訪れる、華やかで活気あふれる国際都市として、奈良時代の幕が開けたのです。
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農民たちの涙…重すぎる税金

都が華やかに発展する一方で、一般の農民たちの生活は悲惨でした。大宝律令で決められた租・庸・調(そ・よう・ちょう)という重い税金に加えて、九州の警備をする防人(さきもり)などの兵役も重くのしかかりました。あまりの苦しさに、国から与えられた田んぼ(口分田)を捨てて逃げ出したり、お金持ちの貴族の元で奴隷のように働く農民が続出!立派な国のルールの裏側で、社会のシステムが少しずつ崩れ始めていたのです。
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国の大ピンチ!田んぼ永久プレゼント

逃げ出す農民が増えたため、国は「田んぼを新しく開拓したら、ずっと自分の土地にしていいよ!」という墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を743年に作りました。しかし、これでお金持ちになったのは、資金力のある貴族や大きなお寺だけ。彼らは農民を雇ってどんどん田んぼを開拓し、荘園(しょうえん)と呼ばれる巨大な私有地を作り上げました。大化の改新で決めた「土地はすべて国のもの(公地公民)」というルールは、ここで崩れ去ってしまいます。
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都を襲う恐怖のパンデミック

この時代、政治の実権を握っていたのは藤原不比等の4人の息子たち(藤原四兄弟)でした。しかし737年、日本中を恐ろしい疫病(天然痘)が襲います。医療が発達していない時代、病気は「目に見えない悪霊の仕業」と恐れられていました。疫病は都の貴族たちにも感染し、なんと政治のトップだった藤原四兄弟が全員病死してしまいます!相次ぐ災害や反乱に疫病も重なり、日本中がこの世の終わりのような大パニックに陥りました。
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仏様の力で国を救え!大仏造立

「なんとかしてこの国の大ピンチを救わなければ!」と深く悩んだ聖武天皇(しょうむてんのう)は、仏教の不思議な力で国を平和にしようとする鎮護国家(ちんごこっか)の思想にたどり着きます。天皇は、国ごとに国分寺(こくぶんじ)というお寺を建てるよう命令し、さらに奈良の都にはその中心となる東大寺(とうだいじ)を建てて、巨大な「大仏」を造るという、国家の全財産を注ぎ込んだ前代未聞の超巨大プロジェクトをスタートさせたのです。
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行基の活躍と民衆のパワー

大仏を作るには莫大なお金と人手が必要ですが、当時の国にはそんな余裕はありませんでした。そこで立ち上がったのが、民衆から絶大な人気を集めていたお坊さん・行基(ぎょうき)です。彼は日本中を歩き回り、橋や水路を作るボランティア活動をしていました。行基が「みんなで大仏を造ろう!」と呼びかけると、多くの人々が喜んで協力し、ついに752年、高さ約15メートルの大仏が完成しました。みんなの祈りとパワーの結晶です。
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命がけの留学!遣唐使たちのドラマ

この時代、最先端の文化や法律を学ぶため、中国へ遣唐使(けんとうし)が何度も派遣されました。しかし当時の船旅は嵐や遭難の危険が高く、まさに命がけ!中国で大出世したものの日本に帰れなくなった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や、失明しながらも6度目の挑戦で日本にやってきて正しい仏教のルールを伝えた唐の高僧・鑑真(がんじん)など、海を越えた熱い人間ドラマがたくさん生まれ、日本の文化を大きくレベルアップさせました。
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シルクロードの終着点「天平文化」

遣唐使たちが持ち帰った唐の文化や仏教の影響を受けた、華やかで国際色豊かな文化を天平文化(てんぴょうぶんか)と呼びます。聖武天皇の愛用品が納められた東大寺の正倉院(しょうそういん)には、ペルシャ(中東)やインドなど、はるか遠くの国からシルクロードを通ってやってきた美しいガラスの器や楽器が残されています。奈良時代の日本は、世界中とつながるグローバルな文化の「終着点」として輝いていたのです。
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歴史と心をつづる「本の誕生」

国がまとまってきたことで、「自分たちの国の歴史を形に残そう」という動きも活発になりました。神話などをまとめた『古事記』、外国向けの公式歴史書である『日本書紀』、地方の自然や伝説をまとめた『風土記』などが次々と作られました。さらに、天皇から防人(名もなき兵士)まで、あらゆる身分の人々が詠んだ約4500首もの和歌を集めた『万葉集(まんようしゅう)』が編纂され、古代日本人の豊かな感情が現代に伝えられています。
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お坊さんの暴走と平安京への旅立ち

奈良時代の終盤になると、お寺が広大な土地(荘園)を持って大金持ちになり、僧侶の道鏡(どうきょう)が天皇の座を奪おうとするなど、仏教勢力が政治に口出ししてやりたい放題になってしまいました。「このままでは国が乗っ取られてしまう!」と危機感を抱いた桓武天皇は、お坊さんたちの影響力が強い平城京を捨てることを決意。794年、新しい都である平安京(京都)へと引っ越し、激動の奈良時代は幕を閉じました。
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