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大海人皇子、天武天皇として即位 おおあまのおうじ、てんむてんのうとしてそくい 官職 ☆ 重要

🕒 673年2月27日 📜 飛鳥時代
📍 場所: 奈良県 飛鳥浄御原宮(現在の奈良県明日香村) 👤 関連: 天武天皇,大海人皇子
673年、古代最大の内乱である壬申の乱に勝利した大海人皇子(おおあまのおうじ)が、新しい都・飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で天武天皇(てんむてんのう)として即位した歴史的事件です。彼は豪族を排除して皇族だけで政治を行う強力な独裁体制(皇親政治)を敷き、天皇の権力を絶対的なものにしました。「天皇」という称号や「日本」という国号が使われ始めたのもこの頃とされ、天皇を中心とする強力な律令国家が形作られる、歴史の決定的な転換点となりました。
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兄弟の確執と後継者問題

かつて「大化の改新」を共に成し遂げた天智天皇(中大兄皇子)と弟の大海人皇子ですが、晩年になると関係が悪化します。天智天皇は優秀な弟ではなく、自分の愛する息子である大友皇子(おおとものおうじ)を次の天皇にしたいと強く願うようになりました。暗殺の危険を感じた大海人皇子は、自ら後継者の座を辞退して僧侶となり、都から遠く離れた吉野(奈良県)の山奥へと逃れるように身を隠すという、苦渋の決断を下したのです。
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天智天皇の崩御と吉野の決起

671年、強大な権力を持っていた天智天皇が病死すると、都である近江大津宮(滋賀県)では大友皇子が政治の実権を握りました。大友皇子は吉野にいる大海人皇子を警戒し、密かに兵を集め始めます。「このままでは殺される」。大海人皇子はついに立ち上がり、吉野を脱出して東国(美濃国など)へと向かいました。天智天皇の強引な政治に不満を持っていた地方の豪族たちは、次々と大海人皇子の味方となり、瞬く間に大軍勢が膨れ上がりました。
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古代最大の内乱「壬申の乱」

672年、大海人皇子の軍勢と大友皇子の朝廷軍が激突する、古代日本最大の内乱「壬申の乱(じんしんのらん)」が勃発します。大海人皇子の軍は、交通の要所を次々と押さえる鮮やかな戦略で朝廷軍を圧倒しました。激しい戦闘の末、近江大津宮は陥落し、敗れ去った大友皇子は自ら命を絶ちました。地方に逃れた反逆者が、当時の正式な政府軍を完全に打ち破って実権を奪い取った、日本史上でも極めて珍しいクーデターの成功劇でした。
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飛鳥への帰還と新しい都

壬申の乱に完全勝利した大海人皇子は、大友皇子のいた近江の都を完全に廃止し、再び自分たちの故郷である飛鳥(奈良県)へと都を戻しました。そこで新しく建設されたのが飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)です。この宮殿は、天皇の権威を象徴するような壮大で新しい構造を持っていました。激しい内乱を経て生き残った大海人皇子は、この新しい都で国家のシステムを根本から作り直すための、強力な政治改革の準備を急ピッチで進めていきます。
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673年、天武天皇の即位

673年2月27日、新しい都である飛鳥浄御原宮において、大海人皇子は正式に天武天皇(てんむてんのう)として即位しました。かつて兄に命を狙われて吉野の山奥に逃げ込んだ孤独な皇子が、武力によって自らの手で巨大な権力と天下を掴み取ったのです。内乱で敵対した古い豪族たちは力を失い、天皇に逆らえる者は誰もいなくなりました。ここから、天武天皇による絶対的な権力を持った新しい国づくりが、猛烈なスピードでスタートします。
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豪族を排除した「皇親政治」

即位した天武天皇は、政治のやり方を劇的に変えました。それまで朝廷で大きな力を持っていた蘇我氏などの大豪族を要職から外し、天皇の息子や皇族(親戚)だけで政治の重要なポストを独占したのです。これを「皇親政治(こうしんせいじ)」と呼びます。他人の意見に振り回されることなく、天皇の意志一つで国の方針をスピーディーに決定できる、極めて強力な独裁体制(中央集権システム)がここに完成した歴史の重要な分岐点です。
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歴史書『古事記』『日本書紀』の編纂

天皇の権力を「神様からの絶対的なもの」として国民に信じ込ませるため、天武天皇は国の正しい歴史をまとめる大プロジェクトを開始しました。稗田阿礼(ひえだのあれ)らに命じて過去の神話や歴史を暗記させ、まとめさせたのが、のちの『古事記』や『日本書紀』です。「天皇の祖先は神様であり、日本を治める正当な権利がある」というストーリーを国家の公式な記録として書き残すことで、天皇の権威を永遠で揺るぎないものにしようとしました。
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新しい法律「飛鳥浄御原令」の着手

強い国を作るためには、全国民を縛る強力な「ルール(法律)」が不可欠です。天武天皇は、かつて天智天皇が作ったとされる法律をさらに進化させ、より本格的で厳しい法律の作成を命じました。これがのちに完成する「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」です。天皇を頂点とし、全国の土地や人々を法律の力で直接支配する律令国家(りつりょうこっか)への道のりは、天武天皇の強烈なリーダーシップによって一気に現実のものとなっていきました。
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日本最古の貨幣「富本銭」

天武天皇の時代は、経済の面でも大きな進化がありました。国として統一されたお金のシステムを作るため、「富本銭(ふほんせん)」という日本で最初期の公式な銅銭(貨幣)が鋳造されたのです。長い間、日本で一番古いお金は和同開珎(わどうかいちん)だと教えられてきましたが、最近の遺跡の発掘調査で、この天武天皇の富本銭の方がさらに古いことが証明されました。法律だけでなく、経済の仕組みも国家が管理する体制が作られ始めたのです。
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「天皇」と「日本」の始まり

天武天皇の最大の功績は、現代まで続く日本の国家の形を定めたことです。中国の皇帝と対等であることを示すため、それまでの「大王(おおきみ)」という呼び方をやめ、初めて「天皇(てんのう)」という称号を公式に使い始めたとされています。さらに「倭(わ)」と呼ばれていた国号を、日の本という意味の「日本(にほん)」へと改めました。壬申の乱という大激動を経て、私たちが知る「日本」という国家の骨格が完成した、決定的な契機なのです。
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