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大仏建立の詔 だいぶつこんりゅうのみことのり

🕒 0743年10月15日 🦌 奈良時代
📍 場所: 滋賀県 紫香楽宮(しがらきのみや:現在の滋賀県甲賀市) 👤 関連: 聖武天皇
743年(天平15年)、聖武天皇(しょうむてんのう)が「仏教のパワーで日本を平和にしたい!」と願い、巨大な大仏(盧舎那仏:るしゃなぶつ)を造るよう命じた宣言です。これを大仏建立の詔(だいぶつこんりゅうのみことのり)と呼びます。当時の日本は、恐ろしい疫病(天然痘)のパンデミックや大地震、貴族の反乱など、まさに地獄絵図のような大パニック状態でした。「国家の危機を、国民全員が協力して仏様にすがることで乗り越えよう」と考えた聖武天皇は、カリスマ僧侶である行基(ぎょうき)の協力も得て、のちに東大寺の大仏となる国家的一大プロジェクトをスタートさせました。
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呪われた日本!?地獄のパンデミック

奈良時代の前半、日本は信じられないほどの不幸の連続に見舞われていました。大地震や日照りによる大飢饉が起こり、さらに恐ろしい疫病(天然痘)のパンデミックが大流行したのです。バタバタと人が倒れ、政治のトップにいた藤原氏の四兄弟も全員が病死してしまいました。「神も仏もないのか…」と、日本中が恐怖と絶望のどん底に突き落とされていました。
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藤原広嗣の乱と逃げ回る天皇

パニックは自然災害だけではありません。740年には、九州で不満を持った貴族が大規模な反乱(藤原広嗣の乱)を起こしました。「ついに政治の世界まで崩壊してしまうのか!」と恐れおののいた聖武天皇は、なんと首都である平城京を捨てて、5年間の間に恭仁京(くにきょう)や紫香楽宮(しがらきのみや)などへ、あちこち都を移して逃げ回るという異常行動をとってしまいます(彷徨の5年)。
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仏様しか勝たん!鎮護国家の思想

どうやっても不幸が止まらない状況に、聖武天皇は「人間の力ではもう限界だ。仏様の圧倒的なパワーで、この国を守ってもらうしかない!」と決心します。このように、仏教の教えで国を平和にしようとする考え方を「鎮護国家(ちんごこっか)」の思想と呼びます。天皇はすでに「国分寺建立の詔」を出して全国にお寺を作らせていましたが、さらにその頂点となる「超巨大な仏像(大仏)」を造る計画を思いついたのです。
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一本の草、一握りの土でもいい

743年、紫香楽宮(滋賀県)にいた聖武天皇は、ついに大仏建立の詔を発表します。その内容は「国の財産を全部使ってでも、巨大な仏像(盧舎那仏)を造るぞ!」という宣言でしたが、同時に「一本の草、一握りの土でもいいから、国民全員が少しずつ力を貸してほしい。無理やり手伝わせてはダメだ」という、非常に感動的なメッセージが込められていました。単なる権力者のワガママではなく、国民が心を一つにすることを願ったのです。
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最強のサポーター、行基の協力

しかし、巨大な大仏を造るには莫大なお金と人手が必要です。そこで聖武天皇が頼ったのが、民衆から神様のように慕われていたカリスマ僧侶の行基(ぎょうき)でした。行基は橋を架けたりため池を作ったりして、貧しい人々を直接助ける活動(社会事業)をして絶大な人気を誇っていました。行基が「みんな、大仏造りを手伝ってくれ!」と呼びかけると、日本中から驚くほどたくさんの人がボランティアとして集まってきたのです。
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国家総動員!果てしない大工事

大仏の建造場所は、最終的に平城京(奈良県)の東大寺に決まりました。当時の日本の人口が約500万人の時代に、なんと延べ260万人(国民の約半分!)もの人々が、木を切り出し、銅を溶かし、金を集める大工事に参加したと言われています。銅の溶接作業では、有毒なガス(水銀など)が発生して倒れる人も続出するという、まさに命がけの過酷な国家プロジェクトでした。

ついに完成!大仏開眼供養

大仏建立の詔から9年後の752年、ついに巨大な大仏が完成しました。インドから偉いお坊さん(菩提僊那:ぼだいせんな)を招いて、大仏の目に墨で瞳を描き入れる「大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)」という超豪華なセレモニーが開かれました。中国やインド、ベトナムの音楽やダンスが披露される国際的で華やかなお祭りで、聖武天皇(当時は上皇)の悲願はついに達成されたのです。
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残されたツケと墾田永年私財法

大仏は無事に完成しましたが、国のお金は完全に底を突いてしまいました。実は、大仏建立の詔と同じ743年に、自分で開墾した土地を永遠に自分のものにしていいという墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)が出されています。これは、大仏造りや国分寺の建設で足りなくなった税金(お米)を増やすために、農民のやる気を出させて畑を広げさせるための「苦肉の策」でもあったのです。
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荘園の誕生と貴族の時代へ

この墾田永年私財法によって、「土地はすべて天皇のもの(公地公民)」というルールは崩れ去りました。お金持ちの貴族やお寺(東大寺など)が、農民を雇ってどんどん土地を開拓し、巨大な私有地(荘園=しょうえん)を持つようになります。聖武天皇が国を救うために出した二つの法律(大仏建立と墾田永年私財法)は、結果的に貴族が莫大な富と権力を持つ「平安時代」へと繋がる、巨大な歴史のドミノを倒すことになったのです。
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