嘉吉の乱 かきつのらん

🕒 1441年6月9日 〜 1441年9月 🍵 室町時代
📍 場所: 京都府 京都(赤松満祐の邸宅)、および播磨国(兵庫県) 👤 関連: 赤松満祐,足利義教
1441年、室町幕府の第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が、有力な家臣(守護大名)である赤松満祐(あかまつみつすけ)によって宴会の席で暗殺された大事件です。義教は「万人恐怖」と呼ばれる恐ろしい独裁政治を行っており、自分の領地を奪われると恐れた満祐が先手を打って将軍を殺害しました。その後、満祐は幕府の討伐軍に敗れて自害しますが、この嘉吉の乱によって「将軍が家臣に殺される」という前代未聞の事態が起き、幕府の権威は地に堕ちてしまいます。やがて応仁の乱から戦国時代へと向かう、下克上(げこくじょう)の特大ドミノが倒れた歴史の重要な転換点です。
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神様の決定?「くじ引き将軍」の誕生

事件の被害者となる第6代将軍・足利義教は、実はとても変わった方法で将軍に選ばれました。前の将軍が後継者を決めずに亡くなってしまったため、幕府の幹部たちが神社で「くじ引き」をして次の将軍を決めたのです。もともとお坊さんだった義教は、このくじ引きで見事に当たりを引いて将軍の座に就きました。「自分は神様(八幡神)に選ばれた特別な存在だ!」と強い自信を持った彼は、将軍の絶対的な権力を確立しようと強引な政治をスタートさせます。
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逆らう者は許さない「万人恐怖」の政治

義教は、少しでも自分に逆らう者や気に入らない者がいれば、身分に関係なく容赦なく処罰しました。お坊さんたちの聖地である比叡山(ひえいざん)を焼き討ちにしたり、力を持った有力な守護大名たちを次々と暗殺したり、家督(家の跡継ぎ)争いに無理やり介入して領地を取り上げたりと、そのやり方は異常なほど過激でした。人々はいつ自分が殺されるかと怯え、彼の独裁政治は「万人恐怖(ばんにんきょうふ)」と呼ばれて恐れられました。
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追い詰められた有力大名・赤松満祐

この恐怖政治のターゲットにされたのが、播磨国(現在の兵庫県)などを治める有力な守護大名・赤松満祐(あかまつみつすけ)です。満祐は、義教が自分の弟をひいきして、自分から領地や当主の座を奪い取ろうとしていることに強い危機感を抱いていました。「このままでは赤松家は滅ぼされてしまう。殺される前に、こちらから将軍をやるしかない!」と、ついに満祐は追い詰められた末のクーデターを決意したのです。
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宴会の惨劇!将軍暗殺のクーデター

1441年6月、満祐は「関東での戦いの祝勝会をしましょう」と嘘をついて、足利義教を自分の豪華なお屋敷(京都)での宴会に招待しました。将軍がご機嫌で食事を楽しんでいる最中、突然、庭に放たれた馬が暴れ出します。みんなが「何事だ!?」と外へ気を取られたその瞬間、隠れていた満祐の兵士たちが一斉に斬りかかり、義教の首をはねて暗殺してしまったのです!日本中を恐怖で支配した独裁者の、あまりにも衝撃的な最期でした。
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地に堕ちた権威と下克上へのドミノ

暗殺後、満祐は自分の領地である播磨国に逃げ込みますが、山名宗全(やまなそうぜん)らが率いる幕府の討伐軍に攻め込まれて自害し、嘉吉の乱は終わります。しかし、この事件が歴史に与えたダメージは致命的でした。「将軍って、家臣に殺されちゃう程度の実力だったの?」と日本中の武士が気づいてしまったのです。将軍の権威は完全に失墜し、下の者が実力で上の者を倒す下克上(げこくじょう)の風潮が一気に強まり、やがて応仁の乱へと繋がっていきます。
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