台湾出兵 たいわんしゅっぺい

🕒 1874年5月 〜 1874年12月
📍 場所: 台湾南部 👤 関連: 西郷従道
1874年、明治政府が台湾南部に軍隊を派遣した、日本にとって近代初の海外派兵です。数年前に起きた「宮古島島民遭難事件」(琉球の人々が台湾で殺害された事件)の報復と、国内で爆発寸前だった不平士族(ふへいしぞく)の不満を外へそらす目的がありました。清国(中国)から賠償金を引き出すことに成功し、琉球(沖縄)が日本の領土であると国際的に認めさせる大きな足がかりとなり、のちの琉球処分へと繋がる歴史の重要なドミノの1枚です。
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悲劇の漂流!宮古島島民の遭難

1871年、琉球(現在の沖縄県)の宮古島の船が嵐に巻き込まれ、台湾の南部に漂着しました。しかし、そこで上陸した54人もの島民が地元の原住民に殺害されてしまうという痛ましい事件が発生します。日本政府は、台湾を支配している清国(現在の中国)に対して強く抗議しました。ところが清国は「あいつらは皇帝の支配が及ばない野蛮な人々(化外の民)だから、うちの国は一切責任を持たないよ」と、まさかの言い逃れをしたのです。
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ならば日本が罰する!狙われた台湾

清国の無責任な回答を聞いた日本政府は、「清国が責任を取らないなら、殺された日本国民(琉球人)の仇は日本軍が直接討つ!」と主張します。さらに当時の日本国内では、「征韓論」が否定されたことで、新しい時代に取り残された不平士族(武士たち)の不満が爆発寸前でした。政府は「武士たちのエネルギーを海外の戦争へ向けさせて、国内の反乱を防ごう」という狙いも込めて、台湾への軍隊の派遣を決定したのです。
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ストップ命令を無視!西郷従道の独断出撃

1874年、いざ出撃の準備が整った矢先、諸外国からの猛烈な反対を受けた政府はビビってしまい、急きょ「やっぱり出兵は一旦ストップ!」と命令を取り消しました。しかし、司令官に任命されていた西郷従道(さいごうじゅうどう:西郷隆盛の弟)は、「今さらやめられるか!武士のメンツが丸潰れだ!」と政府の命令を完全に無視し、約3000人の兵士を乗せた船で勝手に長崎から台湾へ向かって出発してしまったのです。
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激しいジャングル戦と恐ろしい風土病

台湾南部に上陸した日本軍は、地の利を活かしてジャングルに潜む原住民たちのゲリラ攻撃に苦しめられながらも、近代的な武器の力で徐々に制圧していきました。しかし、本当の敵は人間ではなく「病気」でした。日本の兵士たちは、台湾の過酷な暑さと、マラリアなどの恐ろしい風土病(熱病)に次々と倒れてしまいます。戦闘で亡くなったのは十数人でしたが、病気によって500人以上の兵士が命を落とすという過酷な戦いとなりました。
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琉球は日本のもの!巨大なドミノの完成

戦争が長引く中、大国のイギリスが仲裁に入り、大久保利通らの必死の外交交渉によって日本と清国は和解しました。清国は「日本の台湾出兵は正しい行動だった」と認め、多額の賠償金を支払うことになります。これにより、清国は事実上「琉球の人々は日本国民である」と認めたことになり、日本が琉球を完全に自国の領土として組み込む琉球処分(1879年)への大きな足がかりが完成したのです。
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