飛鳥時代、国の中心には日本初の女性天皇である推古天皇がいました。しかし当時の政治は、有力な豪族たちが権力争いをしており、天皇の言うことを素直に聞かない役人もたくさんいました。「これでは超大国の中国(隋)にバカにされてしまう!」と危機感を持った聖徳太子は、国を一つにまとめるために、役人たちが守るべき「心構え」や「ルール」を文章にして発表することにしました。これが日本のルール作りの第一歩です。
十七条の憲法の記念すべき第1条には、「和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)」という有名な言葉が書かれています。これは「争いをしないで、みんなで協力して仲良く話し合うことが一番大切だよ」という意味です。豪族たちが自分の利益ばかりを主張してケンカばかりしている状況を変えるため、聖徳太子はまず最初に「チームワークの重要性」を役人たちに強く訴えかけたのです。現代の社会にも通じる素晴らしい教えですね。
第2条には、「篤く三宝を敬え(あつくさんぼうをうやまえ)」と記されています。三宝とは、仏教における「仏様」「仏の教え」「お坊さん」の3つの宝のことです。聖徳太子は、大陸から伝わったばかりの最先端の教えであった仏教の「命を大切にし、悪いことをしない」という平和な精神を政治の根幹に取り入れることで、人々の心を落ち着かせ、争いのない理想の国を作ろうと考えたのです。ここから日本に仏教が深く根付いていきます。
第3条では、「詔(みことのり=天皇の命令)を受けた時は、必ずそれに従いなさい」と厳しく書かれています。「君主(天皇)は天であり、家臣は地である」と自然の摂理に例え、天皇が国の唯一のトップであることをハッキリと宣言しました。豪族たちが天皇と同じように威張っていた時代を完全に終わらせ、天皇を中心に国全体が一つにまとまる中央集権国家を目指すという、若き聖徳太子の強い決意が込められた最も重要な条文です。
残りの条文には、役人に対する具体的な「ダメ出し」がたくさん書かれています。「ワイロを受け取ってはいけない」「他人の才能を嫉妬してはいけない」「朝は早くから出勤して、遅くまで真面目に働きなさい」など、現代の社会人にも耳の痛い厳しいルールが並んでいます。裏を返せば、当時の役人たちはそれだけサボったり、ズルをしたり、威張ったりする人が多かったということの裏返しでもあり、太子の苦労が目に浮かびます。
604年に制定されたこの十七条の憲法ですが、現在の「日本国憲法」とは少し意味が違います。今の憲法は「国が暴走しないように国民がルールで縛るもの」ですが、聖徳太子の憲法は「上の者が、下の役人たちに向けて作った道徳の教科書」のようなものでした。しかし、役人の身分を定めた冠位十二階の制度と並んで、日本で初めてきちんとした文章の形でルールが示され、法律で国を治める第一歩となった歴史的な大発明だったのです。