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七色十三階冠の制定 ななしきじゅうさんかいかんのせいてい 政治

🕒 647年2月 📜 飛鳥時代
📍 場所: 大阪府 難波長柄豊碕宮(現在の大阪府大阪市) 👤 関連: 孝徳天皇,中大兄皇子
647年、孝徳天皇と中大兄皇子らが中心となり、役人の身分制度である七色十三階冠(ななしきじゅうさんかいかん)が制定されました。かつて聖徳太子が定めた冠位十二階(かんいじゅうにかい)を発展させたもので、役人のランクを13段階に細かく分け、7色の冠や高級な布の素材で身分を視覚的に区別しました。伝統的な大豪族もこのランク制度に組み込み、天皇中心の中央集権的な律令国家(りつりょうこっか)へと移行するための、歴史の重要な転換点となる制度改革です。
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大化の改新と新しい国づくり

645年の「大化の改新」で強大な権力を持っていた蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と孝徳天皇は、天皇を中心とした新しい国づくりをスタートさせました。しかし、新しい政治を強力に進めるためには、天皇の手足となって働く優秀な役人たちをしっかりと組織し、身分の上下関係を明確にする新しいルールが必要不可欠でした。そこで政府は、それまで使われていた役人のランク付け制度の大幅な見直しと、国家体制の強化に本格的に着手することになります。
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聖徳太子の12ランクの限界

それまで日本で使われていた役人のランク制度は、かつて聖徳太子(しょうとくたいし)が603年に定めた有名な冠位十二階(かんいじゅうにかい)でした。家柄に関係なく才能で役人を登用する画期的なシステムでしたが、制定から40年以上が経過し、国が大きくなるにつれて「12段階だけでは細かな役職を分けきれない」という限界が見え始めていました。新しい国家の規模に合わせた、より緻密なバージョンアップが求められていたのです。
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13段階と7つの鮮やかな色

そこで647年(大化3年)、政府は冠位十二階をリニューアルし、新たに七色十三階冠(ななしきじゅうさんかいかん)という新しい身分制度を発表しました。これは役人のランクを13段階に増やし、身分に応じて「紫・錦・青・赤・黄・白・黒」という7種類の色の冠(帽子)を与えるというものです。特に一番上のランクには「織(おり)」や「錦(にしき)」といった、当時としては超高級で特別で美しい模様の入った布が使われました。
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一目でわかる絶対的な上下関係

この七色十三階冠の最大の目的は、役人の身分の違いを「パッと見て誰にでもわかるようにする」ことでした。朝廷に集まった際、かぶっている冠の色や素材を見るだけで、「あの人は自分より偉い」「この人は部下だ」という上下関係が瞬時に理解できます。視覚的な違いをはっきりと設けることで、天皇を頂点とするピラミッド型の強固な組織(官僚制)の規律を、役人たちの心にしっかりと植え付けようとする巧みな政治的工夫だったのです。
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大豪族たちもルールの枠内へ

さらに重要な変更点がありました。かつての冠位十二階では、古くから天皇に仕えてきた大伴氏や物部氏といった「超名門の豪族(臣・連などの大豪族)」は別格とされ、このランク制度の枠外に置かれていました。しかし新しい制度では、彼らのような独立した強い力を持つ伝統的な大豪族たちも、少しずつ天皇が与えるランク制度の枠組みの中に組み込もうと試みています。これは、豪族の独立性を奪うための非常に重要な一歩でした。
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公務員へのジョブチェンジ

豪族たちに天皇から冠(ランク)を与えて「国家の役人」として扱うことは、日本が目指していた律令国家(りつりょうこっか:法律で治める中央集権の国)への脱皮を意味します。それまで自分の土地と家来を持って勝手に威張っていた豪族たちは、冠をもらうことで「天皇からお給料をもらって働く公務員」へと立場が変わっていくのです。天皇の権力を絶対的なものにするための、歴史の決定的な契機となる身分制度の改革でした。
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功労者たちへの最高のご褒美

この新しい身分制度は、「大化の改新」で活躍した功労者たちへのご褒美としても機能しました。例えば、中大兄皇子の右腕として命がけで蘇我氏を倒した中臣鎌足(なかとみのかまたり:のちの藤原鎌足)には、この制度で非常に高いランクの冠が与えられています。身分や家柄だけでなく、国家のために大きな功績を挙げた者が高く評価されて出世できるという実力主義の側面は、聖徳太子の時代からしっかりと受け継がれていました。
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驚くべきスピードのアップデート

しかし、建国ラッシュの飛鳥時代において、この七色十三階冠も長くは続きませんでした。なんと発表からわずか2年後の649年には「十九階」へと細分化され、さらにその後「二十六階」、最終的には「四十八階」へと、ものすごいスピードで何度もルール変更(アップデート)が繰り返されていくのです。これは、当時の政府が理想の国家組織を作るために、必死に試行錯誤(トライアンドエラー)を繰り返していた証拠でもあります。
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超大国・唐への強い危機感

なぜここまで焦って制度を変え続けたのでしょうか。その背景には、お隣の超大国である「唐(中国)」や朝鮮半島の国々に対する強い危機感がありました。海外の国々から「日本は野蛮な未開の国だ」と見下されず、対等に付き合ってもらうためには、唐の進んだ官僚制度を急いで真似て、きちんとしたルールを持つ文明国であることをアピールする必要がありました。冠の制度変更は、最先端のグローバル基準に追いつくための必死の努力だったのです。
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律令国家完成への架け橋

このように、647年に制定された七色十三階冠は、一時的なルールに過ぎなかったかもしれませんが、日本という国が天皇を中心とした近代的な国家へと生まれ変わるための、非常に重要なステップでした。この冠位制度の度重なる試行錯誤は、やがて奈良時代に完成する「大宝律令」の完璧な身分制度(位階制)へと繋がっていきます。バラバラだった豪族たちを一つの国家の枠組みに束ね上げた、歴史の重要な転換点と言えるでしょう。
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