1596年、スペインの巨大な船「サン=フェリペ号」が土佐国(現在の高知県)に漂着したことをキッカケに起きた国際トラブルです。船の乗組員が「スペインは宣教師を使ってキリスト教を広め、その後に軍隊を送って国を乗っ取るのだ」と豪語したという報告を受け、豊臣秀吉が激怒。それまで黙認されていたキリスト教への取り締まりが一気に厳しくなり、翌年の二十六聖人殉教(宣教師や信徒の処刑)という悲劇を引き起こす特大ドミノとなりました。
1596年の秋、フィリピンからメキシコへ向かっていたスペインの巨大な貿易船「サン=フェリペ号」が、台風の被害に遭ってボロボロになり、日本の土佐国(現在の高知県)に漂着しました。船には大量の銀や絹など、目を見張るような超豪華なお宝が積まれていました。天下人である豊臣秀吉は、この船の積荷を没収するために、家臣の増田長盛(ましたながもり)を急いで現地へ調査に向かわせます。
積荷を理不尽に奪われそうになったサン=フェリペ号の航海士は、なんとか秀吉の家臣をビビらせて追い払おうと、世界地図を広げてスペイン帝国の強大さを自慢しました。「なぜこんなに領土が広いのか?」と聞かれた航海士は、「まず宣教師を送り込んでキリスト教を広め、信者を増やしてから軍隊を送り込み、国を内側から乗っ取るのだ」と、絶対に言ってはいけない余計な自慢話(脅し)をしてしまったのです。
この航海士の発言を報告された豊臣秀吉は激怒します。秀吉は以前から「キリスト教は日本の神仏を壊す危険な宗教だ」と考え、バテレン追放令を出していましたが、南蛮貿易の利益も欲しかったため、これまではある程度「見て見ぬふり」をしていました。しかし、この報告を聞いて「やっぱりあいつら、宗教を隠れ蓑にして日本を乗っ取る気だったのか!」と疑念を確信に変え、容赦のないキリスト教弾圧へと舵を切る決意を固めてしまったのです。
ブチギレた秀吉は、ただちに京都や大坂にいたフランシスコ会の宣教師や、日本人のキリスト教信者たちを次々と見せしめとして逮捕しました。そして彼らの耳たぶを削ぎ落としたうえで、真冬の道を長崎まで歩かせ、1597年に26人を十字架にはりつけて処刑してしまいました。これを二十六聖人殉教(にじゅうろくせいじんじゅんきょう)と呼びます。一つの失言が、歴史に残る大惨劇を引き起こしたのです。
このサン=フェリペ号事件は、単なる船の漂着トラブルにとどまりません。「キリスト教=国を乗っ取るための危険なスパイ活動」というイメージが、日本の支配者たちに強く植え付けられることになりました。この強い警戒心は次の徳川家康の江戸時代にも引き継がれ、やがてキリスト教の完全禁止と、外国との関わりを断つ「鎖国(さこく)」へと繋がる、日本の外交政策を決定づける超重要なターニングポイントとなったのです。