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キリスト教伝来 きりすときょうでんらい

🕒 1549年08月15日 🍵 室町時代
📍 場所: 鹿児島県 薩摩国(現在の鹿児島県鹿児島市) 👤 関連: フランシスコ・ザビエル
1549年、スペイン人の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教を伝えた歴史的ビッグイベントです。彼が所属するイエズス会は、ヨーロッパで勢力を拡大しつつあるキリスト教(カトリック)を世界中に広めるためにやってきました。「以後よく(1549)広まるキリスト教」という語呂合わせでも超有名。このキリスト教伝来をキッカケにヨーロッパとの南蛮貿易が盛んになり、日本の戦国武将たちの運命や、のちの江戸幕府の「鎖国」へと繋がる巨大な歴史のドミノが倒れ始めました。
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ヨーロッパから世界へ!ザビエルの使命

16世紀のヨーロッパでは、キリスト教の新しい教え(プロテスタント)が広まり、古い教え(カトリック)の勢力がピンチに陥っていました。そこで「ヨーロッパがダメなら、アジアに新しい信者を増やそう!」と立ち上がったのがイエズス会というグループです。その創立メンバーの一人であるスペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルは、はるか遠くのアジアへ布教の旅に出発しました。命がけの長い航海を経て、彼はインドや東南アジアへと辿り着いたのです。
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マラッカでの運命の出会い

東南アジアのマラッカ(現在のマレーシア)で布教していたザビエルに、運命の出会いが訪れます。殺人の罪を逃れて日本から脱出してきた、ヤジロウ(アンジロー)という日本人青年と出会ったのです。ヤジロウはとても賢く、ザビエルの教えを熱心に学びました。「日本人はとても理性的で、素晴らしい心を持っている」とヤジロウから聞いたザビエルは、「日本こそ、キリスト教を広めるのにふさわしい国だ!」と確信し、未知の国・日本へ向かう決意を固めます。

1549年、鹿児島上陸!

1549年8月、ヤジロウの案内でザビエル一行はついにヤジロウの故郷である薩摩国(鹿児島県)に上陸しました。「以後よく(1549)広まるキリスト教」でおなじみの、日本史の超重要テスト頻出キーワードです。ザビエルは地元の有力な戦国大名である島津氏に挨拶し、キリスト教を広める許可をもらいました。当時の日本人は、見たこともない服装で長い鼻を持つヨーロッパ人を「南蛮人(なんばんじん)」と呼び、珍しそうに取り囲んだと言われています。
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苦戦!言葉の壁と神の翻訳

意気揚々と布教を始めたザビエルですが、すぐに大きな壁にぶつかります。日本語が全く通じないのです!ヤジロウの翻訳を頼りに教えを説きましたが、最初はキリスト教の「神」を仏教の「大日如来(だいにちにょらい)」のことだと間違って翻訳してしまいました。そのため、お坊さんたちからは「新しい仏教の仲間だ」と勘違いされて歓迎される始末。間違いに気づいて「デウス(神)」と言い直すと、今度は仏教徒から激しく攻撃されるようになり、布教は難航しました。
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天皇に会いたい!極寒の京都へ

「日本のトップである天皇に会って許可をもらえば、日本中がキリスト教になるはずだ!」と考えたザビエルは、真冬の雪の中を歩いて日本の中心・京都へと向かいました。しかし、当時の京都は戦国時代の戦乱でボロボロに荒れ果てており、天皇や将軍には全く権力がありませんでした。しかも、ザビエルのみすぼらしい服装のせいで門前払いを食らい、天皇に会うことすらできませんでした。ザビエルの大きな期待は、京都で無残に打ち砕かれてしまったのです。
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大逆転の作戦変更!権力者を狙え

京都で挫折したザビエルですが、すぐに天才的な発想の転換を行います。「日本はトップの権力が無い。各地の実力者(戦国大名)を味方につけるしかない!」と気づいたのです。今度は立派な服を着て、珍しいヨーロッパの時計やオルゴール、ワインなどの豪華なプレゼントを持参し、山口の大名・大内義隆(おおうちよしたか)に会いに行きました。これが大成功!義隆はプレゼントに大喜びし、ザビエルに布教の許可と拠点となるお寺を与えてくれたのです。
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南蛮貿易の魅力と大名たちの思惑

ザビエルの狙い通り、戦国大名たちはキリスト教に大きな興味を持ち始めました。しかし、彼らの本当の狙いは宗教ではなく、宣教師たちと一緒にやってくるヨーロッパの船(南蛮船)でした。彼らと仲良くして南蛮貿易を行えば、戦いに必要な「火薬」や最新の武器が手に入り、莫大な利益が得られるからです。「キリスト教を保護すれば、南蛮船が自分の港に来てくれる!」という下心から、九州を中心とした大名たちは競って宣教師を歓迎するようになりました。
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キリシタン大名と信者の激増

南蛮貿易の利益に惹かれた大名の中からは、自らキリスト教の洗礼を受けて信者になる者も現れました。彼らをキリシタン大名と呼びます。大村純忠(おおむらすみただ)や、のちの大友宗麟(おおともそうりん)などが有名です。殿様が信者になれば、家臣や領民もこぞって洗礼を受けるため、信者の数は爆発的に増えていきました。ザビエルが蒔いた小さな種は、大名たちの「貿易で儲けたい」という欲と結びつくことで、日本中に根を張っていったのです。
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ザビエルの旅立ちと次なる夢

日本に約2年間滞在し、基礎を築き上げたザビエルは「日本人が中国の文化を尊敬しているなら、先に中国をキリスト教の国にすれば、日本もついてくるはずだ!」と考え、次なる布教の地・中国へと旅立ちました。しかし、中国に入国する直前に病に倒れ、1552年に島で孤独な最期を遂げます。日本での滞在は短かったものの、彼が作ったルートを通じて、その後もルイス・フロイスなどの多くの宣教師が日本を訪れ、キリスト教はさらに広まっていくことになります。
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鎖国へと繋がる特大のドミノ

フランシスコ・ザビエルの来日は、日本の歴史を根本から変える特大ドミノの1枚目でした。のちに織田信長はキリスト教を保護して南蛮文化を取り入れますが、豊臣秀吉や徳川家康は「キリスト教の団結力は、国を乗っ取られる危険がある!」と恐れてバテレン追放令や禁教令を出し、激しい弾圧を始めます。そして最終的に、江戸幕府による鎖国体制へと歴史が猛スピードで進んでいくのです。1549年は、日本が初めて世界と深く繋がった運命の年でした。
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