1867年、幕末の日本は超ストレス社会でした。日米修好通商条約による外国との貿易が始まってから、日本の品物が大量に海外へ輸出され、国内の物価が異常なほど跳ね上がっていたのです。さらに「尊王攘夷」を叫ぶ武士たちのテロや戦争が各地で起こり、庶民の生活は苦しくなる一方でした。「もうこんな世の中は嫌だ!誰か世の中を良くしてくれ!」という人々の不満と「世直し」への期待は、まさに爆発寸前の風船のようにパンパンに膨れ上がっていました。
そんな1867年の夏、現在の愛知県(三河国)や三重県(伊勢国)あたりで、信じられない現象が起きます。なんと、空から伊勢神宮などの「神様のお札(おふだ)」がヒラヒラと降ってきたのです!当時は神様や仏様がとても身近だった時代。空から降ってくるお札を見た人々は「これは神様が、苦しい世の中をひっくり返してくれる『世直し』のサインに違いない!」と大興奮。この噂はあっという間に近畿や四国、東海地方などの各地へと広がっていきました。
お札が降ってきた地域では、人々が仕事を完全に放り出し、派手な着物を着て町に飛び出しました。「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」というお囃子(リズム)に合わせて、三味線や太鼓を鳴らしながら、何千人もの大群衆が歌い踊りながら町中を練り歩いたのです。日頃のストレスから解放された人々は、もはや誰も止められないトランス状態(大熱狂)に陥りました。これが日本史に残る民衆の大パニック、ええじゃないかの発生です。
このお祭りの一番すごいところは、普段の厳しい身分制度やルールが完全に無視されたことです。男性が女性の着物を着て女装したり、逆に女性が男装したりと、まさに「なんでもアリ」の無礼講でした。さらに、踊り狂う群衆が裕福な商人やお金持ちの家に勝手に上がり込み、「お祝いだ!酒とご飯を出せ!」と要求。家主も断ることができず、タダでご馳走を振る舞わなければなりませんでした。貧しい庶民たちにとって、究極のストレス発散パーティーだったのです。
人々が歌った「ええじゃないか」の歌詞には、当時のリアルな気持ちが隠されていました。「今年の豊作はええじゃないか」といった素朴な喜びから、「長州の兵隊が上ってきてもええじゃないか」「幕府が倒れてもええじゃないか」といった、明らかに政治的なメッセージが含まれているものまでありました。もはや幕府に期待をしていない民衆たちが、「新しい勢力が来て、今の苦しい生活を変えてくれるなら誰でもいい!」という本音を歌に乗せて叫んでいたのです。
空からお札が降ってきたのは、本当に神様の奇跡だったのでしょうか?実は、歴史の研究では「幕府を倒そうとしていた薩摩藩や長州藩の志士たちが、わざとお札を撒いたのでは?」という説が有力です。民衆を熱狂させて社会を大パニックに陥れれば、江戸幕府の警察機能はマヒし、政治の力が完全に失われたことをアピールできるからです。倒幕派は、この「ええじゃないか」の大騒ぎを巧みに利用して、幕府を追い詰める絶好のチャンスを作り出したとも言われています。
「ええじゃないか」の熱狂は、京都から大坂、さらには江戸の近くまで、東海道を通ってすさまじい勢いで全国へと飛び火していきました。幕府の役人たちも「勝手な騒ぎはやめろ!」と取り締まろうとしましたが、何万人もの民衆が一斉に踊り狂うエネルギーの前では、警察の力など全く通用しませんでした。役人たちも呆然と見守るしかなく、江戸幕府がすでに日本全国をまとめる権力と治安維持のパワーを失ってしまったことが、誰の目にも明らかになったのです。
この「ええじゃないか」の大パニックがピークに達していた1867年10月、ついに歴史の特大ドミノが倒れます。京都の二条城で、第15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が、政治の権力を天皇にお返しする大政奉還(たいせいほうかん)を行ったのです。民衆が町で「ええじゃないか!」と踊り狂っているその裏で、約260年続いた江戸幕府が事実上の終わりを迎えるという、日本史上で最も劇的で、奇妙なコントラストが描かれた瞬間でした。
大政奉還が終わり、季節が秋から冬へと変わる1867年12月頃。あんなに日本中を狂喜乱舞させていた「ええじゃないか」の騒ぎは、嘘のようにピタッと静まり返りました。まるでお祭りが終わった後のように、人々は我に返り、再び日常の生活へと戻っていったのです。しかし、社会の空気は完全に変わっていました。民衆が爆発させた凄まじいエネルギーは、古い時代を完全に吹き飛ばし、新しい時代を受け入れる準備を見事に完了させていたのです。
「ええじゃないか」は、一見するとただの集団パニックや集団ヒステリーに見えます。しかし、歴史的に見ると「名もなき庶民たちが、時代の大きな変わり目に見せた巨大なパワー」の象徴です。政治の表舞台では武士たちが刀で戦っていましたが、庶民たちもまた「踊り」と「歌」という平和的な武器を使って、古い幕府の権威を笑い飛ばし、明治維新への道を後押ししました。日本の歴史が大きく動く時、そこには必ず民衆の熱いエネルギーが存在していたのです。