歴史書作りを命じたのは、飛鳥時代に激しい内乱(壬申の乱)を勝ち抜いてトップに立った天武天皇でした。彼は実力で権力を握ったため、「自分がいかに正しい天皇であるか」を証明する必要がありました。また、大宝律令ができて国がまとまりつつあった日本を、国内外に「昔から続くすごい国なんだぞ!」とアピールするため、国の威信をかけた公式な歴史書を作る巨大プロジェクトをスタートさせたのです。
日本には『古事記』と『日本書紀』という2つの有名な歴史書があります。古事記が712年に完成したのに対し、日本書紀は少し後の720年に完成しました。古事記が「天皇の偉大さを国内の人に伝えるための物語」だったのに対し、日本書紀は「中国などの外国に向けて、日本の正しい歴史を伝えるための公式記録(正史)」という役割がありました。全く目的が異なる2つの歴史書が作られたのです。
この国家的な大プロジェクトのリーダーに抜擢されたのが、天武天皇の息子である舎人親王(とねりしんのう)です。彼は多くの学者や役人たちをまとめ上げ、日本中から古い記録や言い伝えを集めさせました。しかし、歴史を一つにまとめる作業は困難を極めました。古い記録がバラバラだったり、矛盾があったりしたため、事実を確認して時系列順に整理するだけでも、途方もない時間と労力がかかりました。
外国の皇帝にも読ませる公式な歴史書であるため、『日本書紀』は当時の国際的な共通語であった「漢文」で書かれています。しかも、ただの漢文ではなく、中国の歴史書の文体をしっかりとお手本にして、非常にフォーマルで格調高い文章で綴られました。「日本も中国と同じように、立派な歴史と文化を持つ独立した素晴らしい国なのだ」ということを、東アジアの世界に堂々と宣言するための強力な外交アイテムでもあったのです。
その内容は、イザナギとイザナミの国生みなどの「神々の時代(神代)」から始まり、飛鳥時代の持統天皇(じとうてんのう)の時代までの出来事が、細かく記録されています。神話の時代から天皇家がずっと日本を治めてきたという連続性を強調し、「天皇の祖先は神様であり、日本の支配者として絶対に正しい存在なのだ」ということを、壮大なスケールのストーリーで理論的に説明しています。
しかし、歴史書というのは「勝者の視点」で書かれるものです。『日本書紀』も例外ではなく、天皇や朝廷の正当性を強くアピールするために、都合の悪い出来事は書かれなかったり、天皇に逆らった人々(蘇我氏など)は極端に悪く書かれたりしています。現代の歴史学者たちは、この本の内容をすべてそのまま信じるのではなく、「なぜこのように書かれたのか?」という裏の意図を読み解きながら、古代日本の真実の姿を探っています。
天武天皇がプロジェクトを立ち上げてから約40年。多くの困難を乗り越え、ついに720年(奈良時代)、全30巻という超特大ボリュームの『日本書紀』が完成しました!完成した歴史書は、時の天皇である元正天皇(げんしょうてんのう)に誇らしく献上されました。国家事業として何十年もかけて作られたこの本は、当時の日本の知識と文章力の結晶であり、名実ともに日本を代表する最高傑作の歴史書となりました。
実は、完成したときには本文30巻に加えて、「系図(けいず)」が書かれた1巻が付属していたと記録されています。天皇や神々の家系図が詳しく描かれていたはずですが、残念ながらこの系図1巻は、長い歴史のどこかで失われてしまい、現在は「幻の1巻」となっています。もし今この系図が発見されれば、古代日本の謎を解き明かす世紀の大発見になると言われており、歴史ロマンを掻き立てるミステリーとなっています。
『日本書紀』の完成は、日本の歴史編纂の輝かしいスタート地点となりました。これ以降、朝廷は自分たちの時代を記録した公式の歴史書を次々と作り続けていきます。『続日本紀』などに引き継がれ、平安時代までに合計6つの公式な歴史書が作られました。これらをまとめて「六国史(りっこくし)」と呼びます。『日本書紀』は、日本の国が自らの歴史を国家の責任で語り継ぐという、誇り高い伝統の記念すべき第一歩だったのです。
現代の私たちにとって、『日本書紀』は古代日本を知るための「タイムカプセル」のような超重要アイテムです。乙巳の変(大化の改新)や白村江の戦いなど、飛鳥時代のドラマチックな出来事の多くは、この本に書かれている記録がベースになっています。もし舎人親王たちがこの歴史書を残してくれていなかったら、私たちは古代のヒーローたちの活躍をほとんど知ることができなかったかもしれません。まさに日本史の宝物と言えるでしょう。