江戸時代中期に、江戸の木挽町(現在の東京都中央区銀座の東側)に立ち並び、江戸歌舞伎の興行の中心地として賑わった3つの芝居小屋の総称です。
江戸時代初期に幕府から公許を得て木挽町に開かれた芝居小屋です。大いに繁栄しましたが、1714年に大奥の御年寄・絵島と歌舞伎役者・生島新五郎の大スキャンダル(絵島生島事件)の舞台となったため、幕府の怒りを買って取り潰され廃座となりました。
山村座の跡地に隣接する形で発展した、江戸三座の一つに数えられる公許の芝居小屋です。経営難による休座を繰り返しながらも木挽町の顔として存在し、幕末に天保の改革によって浅草の猿若町へ強制移転させられるまでこの地で興行を続けました。
森田座のすぐ隣に建てられた、森田座が休業した際に興行を行う「控櫓」です。森田座の経営不振により事実上メインの芝居小屋として機能することが多く、木挽町の芝居文化を支えました。この木挽町界隈の歌舞伎の歴史は、現在の歌舞伎座(銀座四丁目)へと受け継がれています。