江戸時代後期の寛政の改革において、幕府が朱子学を正学として奨励した「寛政異学の禁」を主導し、幕府の学問所である昌平坂学問所で教鞭をとった優れた儒学者の総称です。
伊予国(愛媛県)出身の儒学者で、大坂で塾を開いた後に幕府に招かれました。柴野栗山とともに寛政異学の禁を強く推進し、朱子学を幕府の正学として確立させることに尽力しました。性格は非常に厳格であり、昌平坂学問所の教育の基盤を築き上げました。
讃岐国(香川県)出身の儒学者で、阿波国で活躍した後に幕府の儒官に登用されました。松平定信の信任を受け、朱子学以外の学問(古学など)を異学として排斥する政策を主導しました。非常に博識であり、寛政の三博士の中心的な存在として活躍しました。
肥前国(佐賀県)佐賀藩の儒学者でしたが、その学識の高さを買われて幕府に登用されました。同じく朱子学を重んじ、昌平坂学問所で多くの門人を育成しました。彼の学統は幕末まで長く影響を持ち続け、のちに佐賀藩が近代化を進める精神的な土壌ともなりました。
江戸出身の朱子学者で、上記の三博士に彼を加えて「寛政の四明(しめい)」と呼ぶこともあります。昌平坂学問所の教官を務めたのち、代官として地方の農村復興など実務面でも大きな功績を残し、学問と政治の実践を両立させた人物として評価されています。