江戸時代後期の寛政年間において、卓越した才能を持ちながらも世間の常識にとらわれず、強い信念を持って尊皇論や海防論を説き、全国を旅した3人の優れた思想家の総称です。
仙台藩の学者で、ロシアなどの外国船の接近に危機感を抱き、国防の重要性を説いた『海国兵談』や『三国通覧図説』を著しました。しかし、幕府の政策を批判したとして寛政の改革を主導する松平定信によって処罰(蟄居)され、失意のうちに亡くなりました。
上野国(群馬県)出身の思想家で、生涯にわたり全国を旅して尊皇思想を説いて回りました。京都の三条大橋で御所に向かって土下座して拝礼したというエピソードが有名で、幕末の志士たち(吉田松陰など)に精神的な影響を多大に与えた先駆者です。
下野国(栃木県)出身の学者で、荒廃していた全国の歴代天皇の陵墓(天皇陵)を自らの足で踏査し、『山陵志』という書物にまとめました。「前方後円墳」という言葉を初めて用いた人物であり、彼の地道な研究は幕末の尊皇攘夷運動を思想的に裏付けるものとなりました。