日本の歴史上において、政治に深く介入して国を乱した、あるいはその強烈な個性や嫉妬深さから、後世の文学や歴史書で「悪女」としてのレッテルを貼られた代表的な女性たちの総称です。
平安時代初期、平城天皇の寵愛を受け、兄の藤原仲成とともに政治に深く介入し専横を極めました。嵯峨天皇と対立して平城上皇をそそのかし、「薬子の変」と呼ばれるクーデターを引き起こしましたが失敗し、自ら服毒自殺を遂げたことで国を傾けた悪女として名を残しています。
源頼朝の正室であり、頼朝の死後は「尼将軍」として鎌倉幕府の実権を握りました。嫉妬深く、頼朝の愛妾の家を破壊させたエピソードや、実の父や子を追放・暗殺してまで北条氏の権力維持を図った非情な政治手腕から、日本史上最も恐れられた悪女の一人として描かれます。
室町幕府第8代将軍・足利義政の正室です。我が子(義尚)を将軍にするために有力守護大名と結託し、京都を焼け野原にした「応仁の乱」を引き起こした最大の元凶とされています。戦乱の最中にも関所を設けて金儲けに走り、莫大な財産を築き上げた強欲な悪女として有名です。
徳川家康の正室ですが、今川義元の姪であったため、今川氏没落後は家康との関係が冷え切りました。非常に嫉妬深く気性が激しかったとされ、武田信玄と内通しているという疑いをかけられ、織田信長の命によって息子の松平信康とともに殺害された悲劇と悪女の伝承を持ちます。
豊臣秀吉の側室(茶々)であり、秀頼の母です。秀吉の死後、豊臣家の実権を握りましたが、徳川家康との対立を深め、大坂の陣において徹底抗戦を主張しました。その高慢な態度と政治的判断の誤りが、結果的に豊臣家を滅亡に導いたとして、国を滅ぼした悪女の代名詞とされます。