古代律令国家(飛鳥〜奈良時代)において、畿内(都)を防衛するために交通の要衝に設置された、特に重要な3つの関所(関)の総称です。
東海道の要衝である伊勢国(三重県亀山市)に設置された関所です。都へ通じる太平洋側の主要ルートを監視・防衛する目的がありました。天皇の崩御や反乱などの非常事態(固関)の際には、真っ先に封鎖される重要な関所であり、発掘調査によって当時の城壁の跡などが確認されています。
東山道の要衝である美濃国(岐阜県関ケ原町)に設置された関所です。壬申の乱において大海人皇子(後の天武天皇)がここを封鎖して勝利したことが起源とされています。東国からの軍勢を食い止める最大の防衛拠点として機能し、この関所より東側を「関東」、西側を「関西」と呼ぶようになりました。
北陸道の要衝である越前国(福井県敦賀市周辺)に設置された関所です。日本海側から畿内へ侵入するルートを防衛するために設けられました。しかし、平安時代(延暦年間)に交通ルートの変化や防衛ラインの見直しにより廃止され、その役割は京都に近い「逢坂関」へと引き継がれました。
愛発関が廃止された後、平安時代に近江国と山城国の境(滋賀県大津市)に新たに「三関」の一つとして設置された関所です。京都のすぐ東側に位置し、多くの貴族や旅人が行き交ったため、清少納言や蝉丸など百人一首に数多くの和歌が詠まれた文学的にも非常に有名な関所です。