明治から昭和初期にかけて、過度な森林伐採や土壌流出などにより、山肌が露出した「はげ山」が特に多く存在したとされる3つの県の総称です。現在は植林により緑化が進んでいます。
古くから瀬戸焼などの陶磁器産業が盛んであり、登り窯の燃料として大量の木材が伐採されたため、瀬戸市周辺などで広大なはげ山が発生しました。土壌が花崗岩質で崩れやすかったことも要因ですが、砂防植栽などの緑化事業が長年にわたり行われ回復しました。
大津市の田上山(たなかみやま)周辺は、飛鳥時代から奈良時代にかけて平城京や東大寺などの大規模な寺院建立のため、大量のヒノキなどの木材が伐採されました。江戸時代には完全なはげ山となりましたが、明治以降にオランダ人技師デ・レーケの指導のもと砂防事業が行われました。
瀬戸内海沿岸では古くから製塩業(塩田)が盛んであり、中国山地ではたたら製鉄が行われていたため、莫大な量の薪炭材が消費されました。花崗岩風化土壌(マサ土)であったため植生が回復しにくく、広範なはげ山が広がりましたが、現在は回復しています。