1839年、長州藩(山口県)の上級武士の家に生まれます。跡取りとして非常に厳しく育てられ、藩校の明倫館でエリート教育を受けますが、決められたレールの上を歩く窮屈な生活に次第に不満を抱くようになりました。
19歳の時、久坂玄瑞の勧めで吉田松陰が主宰する「松下村塾」に入門します。身分に関係なく本気で日本の未来を語り合う熱い空間に魅了され、松陰から「久坂と並ぶ双璧(トップ2)」と称賛されるほどに才能を開花させました。
24歳の時、幕府の使節団に従い清(中国)の上海へ渡ります。そこで大国であるはずの清が西洋列強の半植民地となっている悲惨な現実を目の当たりにし、「日本も早く変わらなければ国を奪われる!」と強烈な危機感を抱きました。
帰国後、「尊王攘夷(外国を追い払う)」の思想を爆発させます。手始めに、建設中だった江戸のイギリス公使館を久坂玄瑞や伊藤博文らと共に焼き討ちにするという、過激なテロ行動を起こして世間を驚かせました。
1863年、外国船との戦いで藩の武士の軍隊が使い物にならないと悟ると、身分に関係なく志のある者なら農民でも町人でも入れる実力主義の義勇軍「奇兵隊」を創設!これが後の日本の近代軍隊のルーツとなります。
英・仏・蘭・米の四国連合艦隊に下関を砲撃された際、藩の代表として講和交渉に臨みます。派手な魔王のような衣装で現れ、領土の租借(外国の領土にされること)を要求されても「古事記」を暗唱してはぐらかし、見事に突っぱねました!
しかし、藩内の主導権が保守派(幕府に従う派)に握られると命を狙われ、脱藩や投獄、さらには四国へ逃亡するなど、命懸けの逃亡生活を余儀なくされます。それでも彼の倒幕への情熱の炎は決して消えませんでした。
1864年の暮れ、わずか80人ほどの同志を引き連れて功山寺で決死のクーデター(挙兵)を起こします!この捨て身の行動に奇兵隊などの諸隊も次々と合流し、見事に藩の政権を倒幕派へと奪い返しました。
1866年、幕府が10万の大軍で長州藩を包囲した「四境戦争」では、海軍総督として最新鋭の軍艦「丙辰丸」などを指揮し、奇襲攻撃を次々と成功させます。高杉の天才的な指揮により、長州軍は幕府の大軍を打ち破りました!
幕府軍を撃退し、まさに新しい時代が始まろうとしていた矢先、労咳(結核)により倒れてしまいます。1867年、大政奉還を目前にして27歳という短すぎる生涯を閉じました。辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」は、彼の破天荒な人生を完璧に象徴しています。