1420年、備中国(岡山県)に生まれ、幼い頃に宝福寺に入ります。しかし絵を描いてばかりで修行をしないため、怒った和尚に柱に縛り付けられてしまいます。夕方、和尚が様子を見に行くと、彼の足元で一匹のネズミが動いていました。それは、彼が床に落ちた自分の涙を足の親指につけて描いた、あまりにもリアルなネズミの絵だったのです!
青年になった雪舟は京都へ上り、禅宗の中心であった相国寺に入ります。ここで、当時の最高峰の画僧であった周文から絵画の基礎を徹底的に学び、同時に春林周得から禅の厳しい修行を受け、画家として、そして僧侶としての精神と技術をストイックに磨き上げました。
30代半ば頃、京都の堅苦しい環境から離れるため、西の京と呼ばれた山口へ移住します。ここで強大な権力を誇り、文化や貿易のパトロンであった大内氏(大内教弘・政弘)の強力なバックアップを受け、アトリエ「雲谷庵(うんこくあん)」を構えて本格的な創作活動に没頭します。
「本場の水墨画を学びたい!」という強烈な情熱から、1467年、大内氏が派遣した遣明船に乗って、ついに憧れの明(中国)へと渡ります!当時としては命懸けの航海でしたが、48歳という年齢でのこの挑戦が、彼の芸術を根底から覆すことになります。
明に到着した雪舟は、有名な画家たちを訪ね歩きますが、「今の中国には、私が求めるような偉大な師匠はいない」と失望してしまいます。しかし、中国の壮大で美しい山や川、自然の風景そのものを見た時、「そうだ、大自然こそが最高の師なのだ!」という究極の悟りを開きました。
中国の自然をスケッチしながら北京へ辿り着いた彼は、なんと明の政府機関(礼部院)の壁画を描くという大役を任されます!彼の描いたダイナミックな水墨画は中国の人々の度肝を抜き、「日本にとんでもない天才画僧がいる!」と大絶賛を浴び、その名を中国全土に轟かせました。
約2年間の中国留学を終えて帰国した雪舟は、中国で学んだ「自然をよく観察する(写生)」というスタイルを貫くため、大分や島根など日本全国を旅して周ります。日本の実際の風景を自分自身の目で見て、それを力強い水墨画の世界へと落とし込んでいきました。
1486年、67歳の時に完成させた全長15メートル以上にも及ぶ超大作『四季山水図巻(山水長巻)』は、彼の集大成にして日本美術史に燦然と輝く最高傑作(国宝)です!春夏秋冬と移り変わる壮大な自然のドラマが、息を呑むような圧倒的な筆致と構成力で描かれています。
驚くべきことに、彼の創作意欲は晩年になっても全く衰えませんでした。82歳という超高齢で描き上げた『天橋立図』(国宝)は、まるで空を飛ぶ鳥の視点(鳥瞰図)から描かれたようなダイナミックで正確な構図を持ち、老いてなお進化し続けた画聖の底力を見せつけています。
1506年頃、87歳の長寿を全うしてこの世を去りました。彼が確立した日本独自の力強い水墨画のスタイルは、その後の狩野派や長谷川等伯、伊藤若冲など、あらゆる日本の絵師たちに絶大な影響を与え続け、現在でも6点もの作品が国宝に指定されるなど「画聖」として永遠の輝きを放っています。