足利 義晴 あしかが よしはる

1511年 - 1550年 室町時代後期(戦国時代)
生没年月日: 永正8年3月5日(1511年4月2日) 〜 天文19年5月4日(1550年5月20日)
出身: 滋賀県近江八幡市(水茎岡山城) 武将、室町幕府12代征夷大将軍
室町幕府の第12代将軍。戦国時代のど真ん中に生まれ、度重なる戦乱で何度も京都を追い出されては近江(滋賀県)へ逃げ込んだ苦労人です。しかし、京都にいなくても「動く幕府」として全国の戦国大名たちのケンカの仲裁(調停)を積極的に行い、「将軍の権威」を必死に守り抜きました。最新兵器の鉄砲にもいち早く目を付けるなど、新しい時代の波に乗りながら幕府のサバイバルに生涯を懸けた、不屈の将軍のストーリーです!
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戦火の中での過酷な誕生

1511年、第11代将軍・足利義澄の長男として誕生します。生まれた場所は、お父さんが敵から逃れていた近江国(滋賀県)の水茎岡山城でした。まさに戦国時代の「戦火のど真ん中」での誕生です。しかも生後間もなくお父さんが病死してしまい、赤ちゃんの身で播磨国(兵庫県)へと逃げ延びるという、波乱万丈すぎる人生のスタートを切りました。
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細川高国による第12代将軍擁立

1521年、京都を支配していた実力者・細川高国(ほそかわ たかくに)が、前将軍(第10代・足利義稙)と対立して追い出します。高国は「新しい将軍を立てて自分の権力をアピールするぞ!」と、播磨にいた11歳の義晴を自分に都合の良い新たな旗印として迎え入れ、第12代征夷大将軍に就任させました。
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桂川原の戦いと近江逃亡

1527年、自分を将軍にしてくれた高国が、ライバルの細川晴元(ほそかわ はるもと)や三好元長たちの軍勢に負けてしまいます(桂川原の戦い)。大ピンチに陥った義晴は、高国と一緒に京都を脱出し、近江国の朽木(くつき)へと逃亡しました。ここから、義晴の「京都を追い出されては近江へ逃げる」というハードなサバイバル生活が始まります。
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宿敵!細川晴元との和睦

その後、一番の味方であった細川高国が戦死してしまいます。しかし義晴はへこたれません!なんと、かつての敵であった細川晴元と見事に仲直り(和睦)し、晴元を新しいサポート役(管領)にして京都への復帰を果たしました。昨日の敵は今日の友。戦国時代を生き抜くための、したたかな政治バランス感覚を発揮します。
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しぶとい!「動く幕府」と桑実寺

義晴は、京都を追い出されるたびに近江の桑実寺(くわのみでら)などに逃げ込み、そこに仮の幕府を設置しました。これを「動く幕府」と呼びます。不思議なことに、将軍が京都にいなくても、地方の戦国大名たちは義晴のことを「正式な将軍様」としてリスペクトし続けました。義晴の粘り強い活動が、将軍のブランド力を保っていたのです。
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戦国大名間の積極的な調停

武力を持たない義晴でしたが、将軍としての「権威」を武器に大活躍します。武田信虎と諏訪氏、大友氏と少弐氏など、全国各地で激しく争っている戦国大名たちに、「ケンカをやめて仲直りしなさい!」という手紙(御内書)を頻繁に送り、調停役(仲裁役)を見事にこなしました。大名たちも「将軍様の命令なら…」と戦いをやめることが多く、平和のために尽力したのです。
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最新兵器!鉄砲伝来への関心

1543年、種子島にヨーロッパから鉄砲が伝来します。義晴はただの古い将軍ではありませんでした。この最新兵器の圧倒的な威力にいち早く注目し、近江の国友村(現在の滋賀県長浜市)にいる腕利きの鍛冶職人たちに「これと同じものを作れ!」と鉄砲の製造を命じたと伝えられています。新しいテクノロジーを積極的に取り入れる先見の明を持っていたのです。
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下克上!三好長慶の台頭

治世の後半になると、細川家の家臣であった三好長慶(みよし ながよし)が猛烈な勢いで力をつけ、下克上で京都の実権を握ってしまいます!義晴は細川晴元と一緒に長慶と戦いますが、圧倒的な強さの前に敗北。再び京都を追われ、近江の坂本へと逃げ込むことになりました。将軍の力だけではどうにもならない、過酷な戦国時代の現実が立ちはだかります。
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息子・義輝への将軍職譲渡

1546年、近江の坂本へ逃れていた義晴は、わずか11歳の息子・足利義輝(よしてる)に将軍の座をゆずり、自分は大御所(引退したトップ)となりました。これは「自分が生きているうちに確実に次の世代へ権力をバトンタッチしておきたい」という、乱世を生き抜くための焦りと親心からの決断でした。
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帰京の夢半ばでの病死

京都を奪い返すという夢を諦めきれない義晴は、慈照寺(銀閣寺)の裏山に中尾城というお城を築くなど、すさまじい執念を見せます。しかしその矢先、無情にも病魔に倒れてしまいます。1550年、ついに京都へ戻る夢は叶わぬまま、近江の穴太(あのう)という場所で40歳の波乱万丈な生涯を閉じました。逃げ続けても決して将軍の誇りを捨てなかった、不屈の生涯でした。
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