足利 義教 あしかが よしのり

1394年 - 1441年 室町時代中期
生没年月日: 応永1元年6月13日(1394年7月12日) 〜 嘉刻1年6月24日(1441年7月12日)
出身: 京都府京都市 武将、室町幕府6代征夷大将軍、僧侶
室町幕府の第6代将軍。元々はお坊さんで一番偉い「天台座主」でしたが、お兄さん(第4代将軍・足利義持)の急死により、なんと神社での「くじ引き」で選ばれて将軍になった前代未聞の人物です!お父さん(足利義満)のような強い将軍を目指し、日明貿易(勘合貿易)を再開したり、反抗的な守護大名や比叡山延暦寺を次々と潰すなど圧倒的な権力を握りました。しかし、些細なことでも厳しく罰する恐怖政治は「万人恐怖」と恐れられ、最後は嘉吉の乱で家臣に暗殺されてしまうという、強烈な個性を持った恐ろしい将軍のストーリーを見ていきましょう!
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仏教の世界へ!天台座主への大出世

1394年、室町幕府の全盛期を作った第3代将軍・足利義満の五男として生まれます。将軍になる予定は全くなかったため、幼い頃にお坊さん(出家)になりました。比叡山に入った彼はメキメキと頭角を現し、なんと天台宗の最高トップである「天台座主(てんだいざす)」という超スゴイ地位にまで登り詰めました。武士の世界ではなく、仏教の世界でエリートコースの大出世を果たしたのです。
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前代未聞!神様が決めた「くじ引き将軍」

しかし1428年、お兄ちゃんである第4代将軍の足利義持が「次の将軍は誰にするか神様に決めてもらう!」という遺言を残して亡くなります。困った家臣たちは、石清水八幡宮で本当に「くじ引き」を行いました。そして、見事に当たりを引いたのが、お坊さんになっていた彼だったのです!日本の歴史上でも前代未聞の「くじ引き将軍」が誕生した瞬間でした。
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お坊さんから武士へ!第6代将軍に就任

くじ引きの結果を受け、彼は仏教の世界から武士の世界へと戻ることになります(還俗:げんぞく)。名前を「義宣(よしのぶ)」、のちに「義教」と改め、35歳で第6代征夷大将軍に就任しました。お坊さんのトップから武士のトップへと大転換した、異色の経歴を持つ将軍です。

お父さんを目指せ!将軍パワーの復活

将軍になった義教の目標は、「偉大なお父さん(足利義満)の頃のように、将軍が絶対的なパワーを持つ政治を復活させること」でした。お兄さんの時代に力を持っていた守護大名たちを押さえ込み、将軍にすべての権力が集まる強力な中央集権政治(トップダウン)を目指して動き出します。
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大儲け再び!日明貿易(勘合貿易)の再開

義教はお父さんのやり方を復活させるため、お兄さんがストップさせていた明(中国)との国交を元に戻し、日明貿易勘合貿易)を再開させました。これにより、中国の進んだ品物や大量のお金(銅銭)が再び輸入されるようになり、幕府の財政(お金)をガッチリと強固なものにしました。
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邪魔者は許さない!永享の乱と鎌倉公方の滅亡

将軍のパワーを見せつけるため、幕府に反抗的な態度をとっていた関東のリーダー、鎌倉公方の足利持氏(もちうじ)を攻撃します。関東管領の上杉憲実(うえすぎ のりざね)と結託して大軍を送り込み、持氏を自殺に追い込んで鎌倉府を完全に壊滅させてしまいました(永享の乱)。邪魔者は身内でも絶対に許しません!
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自分がトップだったお寺も攻撃!比叡山との対決

義教の怒りは、なんと自分がかつてトップを務めていた比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)にも向けられます。幕府の命令に背いた延暦寺を大軍で完全に包囲し、徹底的に追い詰めました。これに抗議したお坊さんたちが、根本中堂(メインの建物)に自ら火を放って焼け死んでしまうという凄惨な事件が起きます。
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「万人恐怖」!逆らう者はすべて死刑の恐怖政治

義教の政治はどんどんエスカレートしていきます。自分の命令に従わない者はもちろん、些細なミスをしただけの貴族やお坊さん、武士たちまでも、容赦なく島流しや死刑にしました。「将軍様を少しでも怒らせたら殺される…」。社会全体が彼に怯え、当時の日記には「万人恐怖(すべての人が恐れおののいている)」と書き残されたほどです。
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結城合戦の大勝利と、権力の絶頂

1440年、関東で鎌倉公方の子供たちをリーダーとした結城氏の反乱が起きますが、これも見事に鎮圧します(結城合戦)。これで日本全国の敵対する勢力をすべて平定し、義教の将軍権力は最高潮(絶頂)に達しました。逆らう者は誰もいない、完全なる独裁体制の完成です。
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衝撃の最期!嘉吉の乱での暗殺

しかし、恐怖政治の結末は突然やってきます。1441年、結城合戦の祝勝会として、有力な守護大名である赤松満祐(あかまつ みつすけ)の屋敷に招かれた義教。酒宴の最中、突如として屋敷の障子が開き、赤松の家臣たちに襲撃されます。「ギャー!」という悲鳴とともに首をはねられ、48歳で暗殺されてしまいました(嘉吉の乱)。恐怖で人を支配した将軍の、あまりにも衝撃的で非業の最期でした。
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