足利 義尚 あしかが よしひさ

1465年 - 1489年 室町時代後期(戦国時代初期)
生没年月日: 寛正6年11月23日(1465年12月11日) 〜 長享3年3月26日(1489年4月26日)
出身: 京都府京都市 武将、室町幕府9代征夷大将軍
室町幕府の第9代将軍。第8代・足利義政と日野富子との間に生まれた実の息子で、彼の誕生がなんと大戦争応仁の乱の直接の引き金になってしまいました!政治から逃げてばかりのお父さんとは違い、「もう一度、幕府の強いパワーを取り戻すぞ!」と情熱を燃やした熱血将軍です。自ら大軍を率いて滋賀県へ出陣し、大名たちに将軍の強さを見せつけましたが、陣中でわずか25歳という若さで病死してしまった悲運のヒーローです。
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テストに出る!応仁の乱の原因に

1465年、第8代将軍・足利義政日野富子との間に誕生します。しかし、お父さんはすでに弟の足利義視を次の将軍にすると約束していました。「私の可愛い息子を絶対に将軍にするわ!」と燃えるお母さんの富子が、有力な大名を味方につけたことで、日本中を二分する大戦争である応仁の乱が勃発してしまいます。彼の誕生そのものが、歴史を変える大事件の引き金になってしまったのです。
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生まれた瞬間から大ピンチ!

生まれて間もなく、義尚の誕生をめぐる大人たちの激しい権力争いから、彼をサポートするはずだった側近たちが京都から追い出されてしまう「文正の政変」という事件が起きます。名門の御曹司として生まれながら、平和な環境とは無縁でした。生まれた瞬間からドロドロとした政治の争いのど真ん中に置かれ、命の危険と隣り合わせの過酷な幼児期を過ごすことになります。
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焼け野原の京都で過ごした幼少期

義尚がわずか2歳の時に、ついに応仁の乱がスタートします。義尚とお母さんの富子は、山名宗全(やまな そうぜん)が率いる西軍の陣地に囲われ、実質的に「西軍のシンボル」として祭り上げられました。京都の町が炎に包まれ、武士たちが血みどろの戦いを繰り広げる焼け野原の景色を見ながら、幼い将軍候補は育っていったのです。
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9歳の少年が第9代将軍へ!

1473年、応仁の乱がまだまだ続いている最中、「もう政治なんてやりたくない!」と現実逃避したお父さんの義政が強引に引退してしまいます。そのため、義尚はわずか9歳という若さで第9代征夷大将軍に就任しました!大人の身勝手な都合により、日本中がパニックになっている大戦争を収めるという、とてつもなく重い責任を押し付けられてしまったのです。
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11年続いた大乱の終わり

1477年、戦いに疲弊した大名たちがそれぞれの領地へ帰り、約11年も続いた応仁の乱がようやく終わりました。京都の街はすっかり焼け野原になっていましたが、成長した義尚は少しずつリーダーシップを発揮し始めます。ボロボロになった京都の街の復興に力を入れ、幕府の立て直しへと動き出しました。
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ダメなお父さんへの反発!

義尚は、政治から逃げて東山文化(銀閣寺など)の世界で遊んでばかりいるお父さん(義政)を「将軍として無責任だ!」と激しく批判します。さらにお母さん(日野富子)の過度な口出しからも自立し、「私が自分の力で幕府を立て直す!」と決意。学問や武芸に打ち込み、将軍自らが先頭に立って政治を行う「親政(しんせい)」を強固に推し進めていきました。
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改名に込めた「強い将軍」への決意

1487年、自身の名前を「義尚(よしひさ)」から「義煕(よしひろ)」に改名しました。これには深い意味があります。「かつて幕府の全盛期を築き上げた祖父(6代・足利義教)や曽祖父(3代・足利義満)のように、絶対的なパワーを持った強い将軍になるぞ!」という力強い決意表明でした。義尚の心の中には、室町幕府の栄光を取り戻すという熱い情熱が燃えていたのです。
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いざ出陣!六角高頼の討伐へ

応仁の乱の混乱に乗じて、滋賀県(近江国)で幕府や貴族の土地を武力で奪いまくっていた守護大名・六角高頼(ろっかく たかより)という人物がいました。「幕府をナメるな!」と怒った義尚は、将軍自らが大軍を率いて出陣する近江親征(おうみしんせい)を敢行します。自ら甲冑を着て戦場へ向かう、カッコいい熱血将軍の姿がそこにありました!
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大名たちをビビらせた鈎の陣

義尚は滋賀県の「鈎(まがり)」という場所に強固な本陣(鈎の陣)を構え、なんと1年以上も滞在して六角氏を徹底的に追い詰めました。将軍が本気で大軍を動かしたこの作戦は、全国の戦国大名たちに「将軍のパワーはまだまだ健在だぞ!」と強く知らしめることに大成功します。幕府の権威が再び輝きを取り戻しつつありました。
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陣中に散った25歳の若き将軍

しかし、一生懸命に頑張りすぎたことが仇となります。政治と戦争の激務による過労に加え、お酒を飲みすぎたことも重なって体調を崩し、1489年、なんと近江の陣中にてわずか25歳(満23歳)で病死してしまいました。「幕府の権威を復活させる!」という若き将軍の熱い夢は、道半ばで絶たれてしまいます。もし彼がもっと長生きしていたら、戦国時代の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
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