奈良時代の仏教界の常識を打ち破り、民衆を救うために法律違反のストリート説法を行った日本仏教のスーパーヒーローです!当時の仏教は「国家を守るためのもの」であり、一般庶民への布教は法律で禁止されていました。しかし行基は「苦しんでいる人を救ってこその仏教だ!」と立ち上がり、道端で教えを説き、さらに民衆と一緒に橋やため池を作る土木工事(社会事業)を行いました。「行基菩薩」と呼ばれて数万人もの熱狂的な支持を集めますが、朝廷からは「危険人物」として厳しく弾圧されます。しかし、その圧倒的なカリスマ性と民衆の力に頼らざるを得なくなった聖武天皇から、国家の一大プロジェクトである東大寺の大仏造立への協力を要請されるという奇跡の逆転劇を起こします!日本で最初の「大僧正」となり、国家と民衆を一つに結びつけた偉大な僧侶のストーリーです!
668年、河内国(現在の大阪府堺市)で、百済からの渡来人の血を引く家系に生まれました。15歳で出家して僧侶となり、飛鳥寺などで厳しい修行を積みます。かの有名な遣唐使・道昭(どうしょう)からも教えを受け、最新の仏教知識を身につけたエリート僧侶としての道を歩み始めました。
当時の仏教は「鎮護国家(ちんごこっか)」といって、天皇や国の平和を守るためだけの特別なものでした。僧侶は国家公務員のような存在であり、「僧尼令(そうにりょう)」という厳しい法律で「僧侶が勝手に一般庶民に仏教を教えたり、道端で説法をしてはならない!」と固く禁じられていたのです。
しかし、税金や飢饉で苦しむ農民たちの惨状を見た行基は、「本当に救うべきは、この苦しんでいる人々ではないのか!」と立ち上がります。彼は安定したエリート僧侶の地位を捨て、法律違反を承知で街角や道端に立ち、一般庶民に向けて「誰でも救われる」という仏教の教えを熱く語り始めました。
行基のスゴいところは、お説教をするだけでなく「実際の生活を豊かにするための行動」を起こしたことです。信者たちと一緒に汗にまみれて泥を掘り、川に橋を架け、農業のための「ため池」や用水路を作り、旅人のための無料の宿泊所(布施屋)を全国各地に次々と建設しました。
彼の優しさと圧倒的な行動力に心を打たれた人々は、彼を生き仏として「行基菩薩(ぎょうきぼさつ)」と呼んで熱狂的に支持しました。彼が説法を始めると、農民だけでなく商人や役人まで、なんと数万人規模の群衆が集まるという、現代のロックフェスのようなすさまじいムーブメントを巻き起こしたのです!
この異常な人気に、朝廷(政府)は震え上がります。「農民たちが勝手に仕事を放り出して、怪しい坊主の周りに集まっている!このままでは国が乗っ取られるぞ!」と危機感を抱き、行基と弟子たちを「人々を惑わす危険な犯罪者(小僧)」として指名手配し、厳しく弾圧して活動を禁止しました。
何度も逮捕状が出され、厳しい迫害を受けながらも、行基は決して民衆を救う活動をやめませんでした。そして、どれだけ政府が弾圧しても、行基を慕う民衆の支持が揺らぐことはありませんでした。次第に朝廷も「彼を力で押さえつけることは不可能だし、彼が作る橋やため池は国にとってもありがたい…」と認めざるを得なくなります。
743年、聖武天皇は国家の安泰を願って、巨大な「東大寺の大仏」を作るという前代未聞の超巨大プロジェクトを立ち上げます。しかし、お金も人手も全く足りません。「この大事業を成功させるには、民衆の圧倒的な支持を持つ行基の力が必要だ!」と、かつて弾圧していた行基に対して、天皇自らが頭を下げて協力を要請したのです!
かつての「国家の敵」は、大仏造立の最高責任者(勧進)として迎えられました。行基が「みんなで仏様を作ろう!」と呼びかけると、全国から何万人もの人々が喜んで木材や銅を運び、自ら進んで工事に参加しました。この多大なる功績により、行基は745年に日本で初めて仏教界の最高位である「大僧正(だいそうじょう)」という地位に任命されます!
大仏の完成に向けた工事が着々と進む中、749年、行基は完成の少し前に82歳で大往生を遂げました。彼が亡くなった時、都中の人々が涙を流して悲しんだと伝えられています。エリートのための仏教を「みんなの仏教」へと変え、国家と民衆の心を見事に一つに結びつけた、日本仏教史上最も偉大で型破りな僧侶の生涯でした。