福島 正則 ふくしま まさのり

1561年 - 1624年 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生没年月日: 永禄4年(1561年) 〜 寛永元年7月13日(1624年8月26日)
出身: 尾張国(愛知県あま市) 武将、大名
豊臣秀吉に幼い頃から育てられ、「賤ヶ岳の七本槍」の筆頭として戦国時代を大暴れした、豪放磊落な天下の猛将です!秀吉への恩義を誰よりも深く胸に刻んでいましたが、感情豊かで真っ直ぐすぎる性格ゆえに、理詰めで政治を行う石田三成とは水と油のように激しく対立してしまいます。秀吉の死後、三成を倒すために関ヶ原の戦い徳川家康率いる東軍に味方し、小山評定では諸将を東軍に引き入れる大演説を行って家康の勝利に絶大な貢献を果たしました。戦後は安芸・備後(広島県)49万石の巨大な大大名となりますが、心の中では常に豊臣家への忠誠とのジレンマに苦しんでいました。大酒飲みで黒田長政の家臣に名槍「日本号」を飲み取られるなど破天荒なエピソードに事欠きませんが、徳川の世になるとその強大な武力と影響力を幕府から危険視されます。最後は台風で壊れた広島城の修復を口実に改易(領地没収)されてしまうという、戦国武将らしく散った不器用で熱い男のストーリーです!
スポンサーリンク
👶

秀吉の親戚「市松」の初陣

1561年、尾張国(愛知県)で生まれました。幼名は市松。母親が豊臣秀吉の叔母であった縁で、幼い頃から秀吉に小姓として仕え、我が子のように可愛がられました。初陣である三木合戦の時からすでに凄まじい武勇を発揮し、若くして秀吉軍の強力な戦力として頭角を現します。
⚔️

筆頭!「賤ヶ岳の七本槍」の大出世

1583年の「賤ヶ岳の戦い」では、敵の猛将・拝郷家嘉を討ち取るという最大級の武功を挙げます!加藤清正らと共に「賤ヶ岳の七本槍」と讃えられましたが、正則だけが飛び抜けて高い恩賞(5000石)を与えられており、名実ともに秀吉子飼いの若手武将の「筆頭」として天下に名を轟かせました。
🍶

大酒飲みの失態?名槍「日本号」

正則は大の酒好きで、酒癖が悪いことでも有名でした。ある時、黒田長政の使者として来た母里太兵衛に「これを飲み干せたら何でも褒美をやる」と大鉢の酒を強要します。見事に飲み干した太兵衛に、秀吉から賜った天下の名槍「日本号」を要求され、武士の約束として泣く泣く渡したという豪快な失敗談があります。
😡

水と油!石田三成との激しい対立

最前線で血を流す正則たち「武断派」と、後方で政治や補給を行う石田三成たち「文治派」の溝は次第に深まります。朝鮮出兵での三成の報告に不満を爆発させた正則は、秀吉の死後、加藤清正らと共に三成の屋敷を武力で襲撃する(七将の三成襲撃事件)という実力行使に出ました。
🗣️

歴史を動かした大演説!小山評定

1600年、石田三成が挙兵したという知らせを小山(栃木県)で聞いた徳川家康は、豊臣恩顧の武将たちに「西軍につくか、私(東軍)につくか」を問います。この時、正則が真っ先に「家康公に味方する!」と大声で宣言したことで場の空気が一変し、多くの武将が東軍につく決定的なキッカケを作りました。
🛡️

関ヶ原での激闘!先陣の誇り

関ヶ原の戦いの本戦では、東軍の先陣を任されて西軍の主力である宇喜多秀家軍と激突!一進一退の凄まじい死闘を繰り広げ、東軍の勝利に多大な貢献を果たしました。三成への個人的な怒りから戦いましたが、結果的にこれが豊臣家を滅ぼす家康の天下取りを決定づけることになります。
🏯

広島49万石の大大名へ

関ヶ原の戦功により、安芸・備後(広島県)49万石という巨大な領地を与えられ、名実ともに大大名となります。広島城を大改修し、城下町の整備や検地を行うなど、単なる猛将ではなく領国経営においても優れた手腕を発揮して広島の発展の基礎を築きました。
😢

大坂の陣での苦悩とジレンマ

徳川の世が盤石になる中、豊臣家を滅ぼす「大坂の陣」が始まります。正則は江戸に留め置かれ、出陣を許されませんでした。豊臣家への恩義と幕府への忠誠の間で激しく苦悩し、大坂城にある広島藩の米を豊臣軍が没収するのを黙認するなど、密かに豊臣家への情を見せました。
⛈️

言いがかり?広島城の無断改修と改易

豊臣家が滅亡した後の1619年、台風で石垣が崩れた広島城を幕府に無断で修理したとして、武家諸法度違反を問われます。豊臣恩顧の筆頭であり、強大な武力を持つ正則を危険視した第2代将軍・秀忠の強硬策により、なんと領地をすべて没収(改易)されてしまいました!
🥀

信濃での隠居と寂しい最期

巨大な権力を失い、信濃国(長野県)高井野藩にわずか4万5千石で移封(減封)されました。幕府からの厳しい監視の中、失意のまま1624年に64歳で亡くなります。しかも幕府の検死役が到着する前に家臣が遺体を火葬してしまったため、残された領地まで没収されるという、不器用な戦国武将の哀愁漂う最期でした。
スポンサーリンク
スポンサーリンク