鎌倉幕府を開いた偉大な父・源頼朝の跡を継ぎ、18歳で第2代将軍となった人物です。しかし、若い彼のワガママな政治は家臣たちの反発を招き、北条政子らによって「十三人の合議制」という仕組みで実権を奪われてしまいます。最終的には将軍の座を降ろされ、伊豆の修善寺で暗殺されるという悲惨な最期を遂げました。偉大すぎる父のプレッシャーと、権力争いに巻き込まれた二代目将軍の悲劇のストーリーを見ていきましょう!
1182年、源頼朝と北条政子の長男として鎌倉で生まれます。待望の跡継ぎの誕生に頼朝は大喜びし、将来は立派な将軍になるようにと「頼家」と名付け、とても甘やかして大切に育てました。偉大な両親の愛情を一身に受け、生まれながらのトップとして何不自由ないエリート御曹司の生活を送ります。しかし、この「特別扱い」で育った環境が、のちに彼を苦しめるワガママな性格を作ってしまう原因の一つになったのかもしれません。将軍になる運命を背負った少年のプレッシャーも計り知れないものがあったでしょう。
1193年、頼家が12歳の時に富士山麓で行われた大規模な狩り(富士の巻狩り)で、初めて鹿を射止めることに成功しました!お父さんの頼朝は「我が子が初めて鹿を仕留めたぞ!」と大喜びで鎌倉のお母さん(政子)に手紙を送ります。しかし、肝心の政子からは「武将の跡継ぎなら鹿の一頭くらい獲れて当たり前です。そんなことで大騒ぎしないでください」と冷たくあしらわれてしまいました。両親の教育方針の違いがよく分かる面白いエピソードですね。
1199年、お父さんの頼朝が突然亡くなってしまったため、頼家はわずか18歳という若さで第2代征夷大将軍に就任しました。しかし、彼にはお父さんのような圧倒的なリーダーシップ(カリスマ性)はありませんでした。さらに、若い頼家がこれまでの武士のルールを無視して、自分の好きなように政治の決定(独裁的な政治)を始めたため、古くから頼朝を支えてきたベテラン武士たちから「あの若造は何を考えているんだ!」と激しい不満を持たれてしまいます。
「このまま頼家に政治を任せたら鎌倉幕府がメチャクチャになる!」。危機感を持った北条氏などの有力な武士たちは、なんと頼家から政治の決定権を奪い取ってしまいます!代わりに選ばれた13人の有力な武士たちが、話し合いで政治を決める十三人の合議制という新しいルールをスタートさせました。将軍になったばかりなのに、勝手に政治をすることを禁止されてしまった頼家は、お母さんの実家である北条氏に対して激しい怒りを溜め込んでいくのです。
政治のパワーを奪われた頼家は、ベテランの武士たち(宿老)を無視して、自分と年齢が近い仲良しの家臣(小笠原長経や比企宗朝など)ばかりをえこひいきするようになりました。彼らと一緒にお酒を飲んだり、遊びほうけたりして、幕府の政治をボイコットするような態度をとります。これにより、頼家グループと、北条氏を中心とするベテラン武士グループとの対立はどんどん激しくなり、鎌倉の中は一触即発のピリピリしたムードに包まれていきました。
1200年、頼朝の時代から幕府のナンバーツーとして活躍し、頼家のことも強く支えていたベテラン武士の梶原景時(かじわら かげとき)が、他の武士たちのイジメにあって幕府から追い出され、最後は滅ぼされてしまいました(梶原景時の変)。これにより、頼家にとって一番頼りになる強力な味方がいなくなってしまいます。お母さんの実家である北条氏のパワーがどんどん強くなる中で、若い将軍は孤立を深め、ますます自分の居場所を失っていきました。
1203年、精神的なストレスもあったのか、頼家は重い病気にかかり、生死の境をさまよう危篤状態になってしまいます。これを見たお母さんの政子とおじいちゃんの北条時政は、「頼家が死んだら次の将軍はどうするか?」と勝手に話し合いを始めました。そして、頼家の長男である一幡と、頼家の弟である源実朝の二人で、幕府のパワーと領地を半分ずつ分け合うという決定を下してしまったのです!将軍が寝たきりの間に事態は大きく動きます。
領地を半分にされることにブチギレたのが、頼家の奥さんのお父さん(舅)である比企能員(ひき よしかず)でした。能員は「北条氏をぶっ倒す!」と反乱を企てますが、政治家として一枚上手の北条時政に先読みされ、あっけなく暗殺されてしまいます。さらに北条軍は比企一族の屋敷を攻め滅ぼし、なんと頼家の長男である一幡までも一緒に殺してしまいました(比企能員の変)。寝たきりの将軍の知らない所で、血みどろの権力争いが起きていたのです。
その後、奇跡的に病気から回復した頼家は、自分の大切な長男と義理のお父さんが北条氏に殺されたことを知って大激怒します!「すぐに時政を討ち取れ!」と家臣に命令を出しますが、もはや誰も彼の命令を聞く者はいませんでした。逆にお母さんの政子から「あなたはもう将軍ではありません」と言い渡され、無理やりお坊さんにさせられて、伊豆国(静岡県)の修善寺(しゅぜんじ)というお寺に幽閉(閉じ込められること)されてしまいました。
1204年、修善寺に閉じ込められていた頼家を、北条氏が放った暗殺者の集団が襲いかかります。頼家は刀を振るって激しく抵抗しましたが、なんと入浴中のスキを突かれ、急所を刺されて暗殺されてしまいました。わずか23歳という若さでの、あまりにも悲惨で無念の最期でした。こうして、偉大な初代将軍から受け継がれた源氏のパワーは完全に失われ、ここから北条氏が幕府の実権を握っていく執権政治(しっけんせいじ)の時代へと突入していくことになります。